音楽史 094 ◆チコニアへのイタリアの影響◆


 ◆チコニアへのイタリアの影響◆

 チコニアのすべての世俗曲が、事実上、イタリアの詩に作曲されたものであることは驚くべきことではありません。しかし、彼は、また、上声部に多くのコロラトゥーラを付けて2声や3声のバッラーダを洗練させ、その世紀の変わり目に生じたマドリガーレの短い復興に参画しました。一方、3声部のカノン「Le ray au soleyl」は、北方の精巧さの典型的な使用例であり、モデナのヴィルレ(Modena virelai)「Sus un fontayne」のマニエリズムについては、すでに述べました。

イタリアがいかに侵略者たちを豊かにし始めたかを示しているのは、イタリア人には馴染みの薄い形式ではありますが、彼の作品の最も重要な部分を占めているモテトゥスです。それらは、1400-10年の時期に年代付けられます。その中の二つは、2声部だけのもので、共に、同じラテン語のテキストを歌い、様式的にマドリガーレとは区別がつきません。また、別の二つは、同一のテキストで、器楽のテノールの上に、自由なあるいはカノン風の模倣の同じ声部の二つのデュエットがあります。

 チコニアは、恐らく、初期の他のどの音楽よりも作品にすばらしい響きの効果を冠する方法をよく理解していたのでしょう。それは、「Venetia, mundi splendor/Michael」の最後のファンファーレや「O virum/O lux/O beate Nicolae」の最後の「アーメン」が証拠付けています。それらを、それほど世俗的ではありませんが、それでも印象的なカノニチ写本(Canonici Codex)の中にあるグロリアの「アーメン」と比較してみるべきです。

この特別なグロリアは、カンタービレ(歌うような)の最初部とある意味で器楽的なテノールコントラテノールのあるチコニアのモテトゥスと似ています。しかし、写本の中では、そのすぐ前にある(「Spiritus et alme」のトロープスのある)曲は、チコニアの別のグロリアやクレドにもある革新を示しています。合唱とソリストとの交替のための「dui」と「chorus」という印です。それは、この時までに、声のポリフォニーは、もはやソリストのためだけではなかったことを確認させます。

あとがき 093


 明日で、はや10月も終わりです。1500メートル以上の山々では、もう紅葉は散ってしまったかもしれません。今年の秋こそ、久々に、山へ行ってみようと思っていたのですが、結局行かずに終わってしまいました。

 でも、里山の紅葉はこれからです。それを楽しみに待ちましょうか。

 それでは。

随想 093 ◆遺伝子組み換え食品に関する20の質問(その3)◆


 ◆遺伝子組み換え食品に関する20の質問◆


Q3. 遺伝子組み換え食品は、これまでの伝統的な食品と評価の仕方が異なるのか?

 全般に、消費者たちは、伝統的な食品(しばしば数千年にわたって食べられてきた)が安全であると考える。新しい食品が自然な方法で開発されると、その食品の特徴の幾つかは、肯定的であれ否定的であれ、変わることがある。国家の食品当局が、伝統的食品を検査するのが求められることもあるが、この場合は、必ずしもそうではない。実際、伝統的な品種改良技術で開発された新しい植物は、リスク評価技術を用いて厳格に評価されないこともある。

 遺伝子組み換え食品に関しては、ほとんどの国家当局は、特別な評価が必要だと考えている。遺伝子組み換え生物や食品の人間の健康や環境に関しての厳しい評価の特別なシステムが作られている。同様な評価は、一般的に、伝統的な食品にはなされない。つまり、この2つのグループの食品には、市場に出る前の評価の過程に、重要な違いがある。

 WHO の食品安全プログラムの目的の一つは、各国の当局が、遺伝子組み換え食品を含むリスク評価に従うべき食品を識別するのを手助けし、正しい評価をするよう勧告することである。


 Q4. 人間の健康への潜在的なリスクをどのように決めるのか?

 遺伝子組み換え食品の安全評価では、次の項目を詳細に調べる。
 (a) 健康への直接の影響:(有)毒性(toxicity)、(b) アレルギー反応を起こす傾向:アレルギー誘発性(allergenicity)、(c) 栄養あるいは中毒性の特性を持つと考えられる特別な成分、(d) 組み込まれた遺伝子の安定性、(e) 遺伝子組み換えに関連する栄養の影響、(f) 遺伝子を組み込むことで生ずる可能性のあるあらゆる予期せぬ影響

数学史 093 ◆12・13世紀スペイン◆


 ◆12・13世紀スペイン◆

 12世紀、スペインの数学の研究は、その前の時代の人々より遙かに恵まれていました。アラビアの著述家たちの中で、第一の者は(中世には一般にこう呼ばれていましたが)、アヴェロエス(Averroes)(1126年頃-1198/9年)でした。彼は天文学と三角法について著述しています。彼の同時代人で、学問的に最も優れた人は、アべンパセ(Avenpace)、キリスト教徒たちによってこう呼ばれていましたが、彼は、セヴィリヤとグラナダに 1140年頃生きていて、幾何学について著述しています。

 しかし、先の世紀と同じように、この世紀も、数学の発展に最大の寄与をしたのは、ヘブライの学者でした。ラビ、ベン・エズラ(Rabbi ben Ezra)を別にしても、二人の学者を特別に取り上げるのに値します。マイモニデス(Maimonides)(1135年-1204年)、コルドバ生まれ、スルタンお抱えの医師で、優れた天文学者であった人物と、ヨハネス・ヒスパレンシス(Johannes Hispalensis)(1140年頃活躍)です。彼は、キリスト教の信仰を告白し、算術と占星術について著述し(1142年)、様々なアラビアの数学に関する著作をラテン語に翻訳しました。

 同じ世紀、それほど著名ではありませんが、他にも様々なユダヤの学者がいました。例えば、サムエル・ベン・アッバス(Samuel ben Abbas)。彼は、算術、ヒンドゥーの数詞とその用法、代数そして幾何学について著述しています。

 13世紀には、アラビア語からヘブライ語になされた様々な翻訳が見られます。そして、その何人かの翻訳者が知られています。これらの中に、モーゼス・ベン・ティボン(Moses ben Tibbon)がいます。彼の父親と祖父は、哲学及び科学(学問)の著作をアラビア語からヘブライ語に翻訳した人として有名でした。彼は、その世紀の中頃、積極的に仕事をし、アルペトラギウス(Alpetragius)の天文学と恐らく後述のアル・ハッサル(al-Hassar)(1200年頃)の算術を翻訳しています。

音楽史 093 ◆イタリアのフランス人ワロン人音楽家(続き)◆


 ◆イタリアのフランス人ワロン人音楽家(続き)◆

 こうした休みない放浪は、彼らの物語を語っています。カンブレリエージュの君主の司教職出身のワロン人たちは、イタリアで礼拝の仕事に就いていましたが、決して彼らの祖国と接触を断ったわけではありませんでした。もちろん、全く南へは行かなかった人もいますし、ほんのわずかの期間しかいかなかった人もいました。デュファイの師のリシャール・ロケヴィユ(Richard Loqueville)(1418年没)や 1420年代ブルグンド(ブルゴーニュ)の宮廷にいたヤコブス・ヴィーデ(Jacobus Vide)や最も有名なモンス(Mons)のジル・バンショワ(Gilles Binchois)(1400年頃-1460年)などのように。

しかし、イタリア生まれのチコニアの弟子たちやマニエリストたちを圧倒するに十分な人たちがイタリアに進出していました。- 例えば、アントニウス・ロマーヌス(Antonius Romanus)。彼による 1415年のヴェネチアの総督(Doge)にトマソ・モチェニゴ(Tomaso Mocenigo)が選出されたことを記念するモテトゥスが残っています。また、パオロ・ダ・フィレンツェ(Paolo da Firenze)(1419年頃没)、アントニウス・デ・キヴィターテ(Antonius de Civitate)、そしてバルトロマエウス・デ・ボノニア(Bartholomaeus de Bononia)のような人たちもいました。

マッテオ・ダ・ペルージャ(Matteo da Perugia)が、1416年にミラノ大聖堂を去ると、彼の後継者は9年ぶりにイタリア人ではなく、アヴィニョン人のベルトラメ(Beltrame) つまりベルトラン・フェラグ(Bertrand Feragut)でした。彼は、すでにヴィチェンツァ(Vicenza)にきていました。しかし、最終的な結果は容易に予見できます。イタリアは、イタリアの征服者たちを征服し、ワロン人はイタリア化するようになるのです。その過程は、チコニア自身から始まっていました。

あとがき 092


 今日は、久々に雨。寒冷前線通過ということで、一気に肌寒い気候になりました。皆さん、いかがお過ごしですか。

 前回から、食の安全に関することになるのでしょうか、遺伝子組み換え食品について書いて(訳して)いますが、このところ世間を騒がせている中国の乳製品へのメラミン混入事件には、本当に驚いてしまいます。よく似た事件として、かつて、日本でも、●●ヒ素ミルク中毒事件などがありましたが、身近な重大性はともかく、広がりとその影響の大きさはその比ではありませんね。

 さらに、日本では事故米偽装転売問題なども起こっています。世の中どうなっちゃったんだろうと思う今日この頃です。

随想 092 ◆遺伝子組み換え食品に関する20の質問(その2)◆


 ◆遺伝子組み換え食品に関する20の質問◆


 Q2. なぜ遺伝子組み換え食品が作られるのか?

 遺伝子組み換え食品とは、これらの食品の生産者あるいは消費者いずれかに何らかの利点が認められるから開発された - 市販されている。これは、価格の安さや優れたメリット(持続性や栄養の価値)があるあるいは双方を兼ね備えた生産物と言い換えることができるという意味である。当初、遺伝子組み換え食品の種の開発者たちは、自分たちの生産物が生産者たちに受け入れられることを望んでいた。それで、農民たち(またより一般的には食品産業)が評価するような革新を行うことに集中した。

 遺伝子組み換えによって植物を作り出す初期の目的は、作物保護を改善することであった。現在市場に出回っている遺伝子組み換え作物は、主として、昆虫やウィルスによって引き起こされる植物の病気に抵抗力を持たせたりあるいは除草剤への耐性を強めたりすることで、作物保護のレベルを高めるのが目的であった。

 虫害抵抗性は、バクテリア、バチルス・チューリンゲンシス(BT)の毒素産生遺伝子を食品植物に組み込むことで達成される。この毒素は、現在農業で標準的な殺虫剤として使われており、人間の消費にとっては安全である。この毒素を永続的に生成する遺伝子組み換え作物は、特別な状況、例えば、防除圧が高いところ(虫害を受けやすいところ)では、殺虫剤の量が少なくてすむことが示された。

 ウィルス抵抗性は、植物で病気を起こすあるウィルスの遺伝子を組み込むことで達成される。ウィルス抵抗性は、植物をそうしたウィルスによる病気に感染しにくくし、結果として、作物の生産を高める。

 除草剤耐性は、幾つかの除草剤に抵抗性を示すバクテリアの遺伝子を組み込むことで達成される。雑草圧力の高い状況では、そうした作物を使用することで、結果として、使用する除草剤の量を少なくすることができる。