◆衰退期のエジプト・アッシリア◆


◆衰退期のエジプト・アッシリア◆ 
 
 第18王朝以後、全般に芸術の停滞期に入ったように思われます。その原因は、政治的なものであったと考えられています。芸術の栄えた平和な繁栄の時代は終わり、王権は弱体化し王国は分裂に次ぐ分裂で、陸や海からの外敵の侵入にさらされ続けることになります。
 
 ついには、BC7世紀アッシリアによって、BC6世紀と4世紀にはペルシア人によって、そして、そのすぐ後、BC332年には、アレクサンダー大王によって支配されるというように、外国の支配が続きます。
 
 エジプト文化は、外国の影響を受け、次第にそれは浸透していき、一般の東地中海文化と融合していきます。しかし、エジプト音楽は、東地中海地域の音楽の中では支配的な要素を保持し、楽器のタイプは、音楽の表現形式や演奏形態ほどは影響を受けなかったように思えます。
 
 しかし、BC9世紀から7世紀までの間は資料がないため、私たちは、再び目をメソポタミアに向けることにします。
 
 BC1000年期の初めまでに、好戦的で攻撃的なアッシリア人メソポタミアを支配する民族になっていました。この時期の資料は、ほとんどが石やブロンズの浮き彫りから得られたもので、その他の音楽もあったはずでしょうが、資料がないため正確なことはわかりません。
 
 彼らの芸術は、神々の礼拝のためというより、王の狩での武勇、猛々しい戦闘の勝利のために捧げられたもので、音楽についても、私たちの知っていることといえば、すべて、庭園で、スサの王の首が吊り下げられている木のそばで、女王とくつろいでいる王のそばにいる音楽家や、各々手に切り落とした敵の首を下げている兵士たちを迎えようとしている音楽家などと結びついています。