◆ハンス・ザックス◆


◆ハンス・ザックス◆
 
 最近どういうわけか、見知らぬ人から質問というかメールを何通か頂くようになったのですが、その中に「ハンス・ザックス」に関するものがありましたので、今回、A Norton Introduction to Music History のAllan W.Atlas,"Renaissance Music--Music in Western Europe,1400-1600," (New York・London,1998)から、その部分を訳してみることにします。
 
 マイスターゲザンク(Meistergesang)
 
 16世紀のドイツ音楽に感傷的心情的な音楽家がいるとすれば、それはハンス・ザックス(1494-1576:図版17-2)であるだろう。彼は、ヴァーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」の演奏によって今日でも生き続けている。
 
 職業は靴屋であったが、ザックスはニュールンベルクのマイスタージンガーの中で指導的人物であった。音楽社会と職人のギルドとの間に立って、マイスタージンガーは、何世紀にも及ぶドイツのモノフォニー(単旋律)の歌の伝統の終わりに位置していたが、毎月競技会を開いていた。その競技会では、競技者は先に割り当てられてた歌を歌わなければならなかった。歌も(詩を含む)演奏も規則に従わなければならず、それぞれの歌い手はカーテンの陰に隠れていた審査官の一団によって、非常に細かいところまで採点された。(ヴァーグナーのオペラのベックメッサーを思い起こすとよい。)勝利者は、ダヴィデ(マイスタージンガーの守護人)と呼ばれる大きなメダルを受け取り、それを次の競技会まで保持した。
 
 ザックスは、およそ 4,300の詩と 13の旋律を書いている。彼の「鳴り響く音(Klingende Ton)」は、マイスタージンガーの技法を例証している。(譜例 27-8)
 
 すぐに気づくことは、正確なリズムがないことである。一般的に正確な音価(音の長さ)を記譜しない世俗のモノフォニー(単旋律歌)--プロヴァンスのトルバドール、フランスのトルヴェール、そしてドイツのミンネジンガー--の長い伝統に属するジャンルに相応しいように。歌は、恐らく一種の自由に流れる吟唱的朗読で歌われたのだろう。
 
 ザックスの歌は、マイスタージンガーでは通例のバール形式:a,a,b(a)で書かれている。その a の部分は、シュトレン(Stollen)と呼ばれ(シュトレンが二つ合わさってアウフゲザンク(Aufgesang)を形成する。)bの部分がアプゲザンク(Abgesang)であった。最後の a の部分(アプゲザンクの一部)はあってもなくてもよく、全体にあるいは部分的に歌の最初の部分を思い起こすことができた。同様に典型的であるのは、ブルーメ(花)と呼ばれる曲の最初の装飾楽句である。テキストに関して言うと、ザックスの歌は聖書のサウルとダヴィデの争いの物語を書き換えている。このように、それは宗教改革の礼拝にマイスタージンガーの技芸が置かれた傾向を表している。
 
 マイスタージンガーの伝統はニュールンベルクから他のドイツの中心地へと広まり17世紀になっても続いていたが、ハンス・ザックスとその同時代の人々のときに絶頂期を迎えていた。彼らがいなくなるとその創造的エネルギーは衰えてしまった。