◆オルガンの起源(その2)◆


◆オルガンの起源(その2)◆ 
 
 水圧アウロスについては、紀元1世紀頃のウィトルウィウスも「建築について(De Architectura)」の中で、ポンプがあり、それぞれ離れたパイプの列に風を送ったり止めたりする、4つ、6つ、あるいは、8つの送風管のついたより複雑な楽器を描いています。
 
 ピロンやヘロン、ウィトルウィウスのような人たちが水圧アウロスについて書いたのは、その技術の精巧さのためであったでしょう。しかし、ピロンの後、1,2世紀の間に、水圧アウロスは、歴史の檜舞台から姿を消します。
 
 BC90年に、水圧アウロスの奏者は、デルフィで大成功を収めます。ヘレニズムの影響は、南イタリアからローマに及び、その世紀半ばには、オルガンは、ローマに達したように思えます。帝政時代には、劇場や剣闘競技場で、コルヌやトゥーバとともに演奏されたようです。家庭でも用いられ、一般の人々にも練習されるようになります。
 
 一部現存する最も初期の時代のオルガンは、ブダペスト近くのアクィンクムで発見されたもので、アレクサンドル・セウェルスの時代に年代付けられています。その修復は疑わしいのですが、アクィンクム博物館(Aquincum Museum)で見ることができるそうです。
 
 オルガンが栄えたのは、ローマ音楽が最も栄えた時代と一致します。それは、エジプトがローマの属国になったとき(BC30年)から紀元330年、都をビザンティウムに移すまでの時期です。帝政下の音楽教養文化については、とまどうほどの膨大な文献資料と具体的な遺物(証拠品)がありますが、記譜された音楽はほんのわずかの断片しかなく、しかも、そのすべてがギリシア語のテキストの関連のもので、イタリアで発見されたものは何もありません。
 
 次回は、その帝政下の音楽について触れてみます。