◆東洋(BC1000-BC300)(その2)◆


◆東洋(BC1000-BC300)(その2)◆
 
 西アジアでは、この時代の少し前に、アラム人がパレスチナヘブライ人の領土の北を支配し繁栄していました。彼らは商業に関心があったことが知られていています。BC1000年までには、彼らはアルファベットの文字体系を発達させ、交易の証書は、メソポタミア、ペルシア、そしてインドでも知られていました。
 
 また、BC8世紀には、アッシリア西アジアで支配的な強国となりました。彼らは、鉄の武器で武装した大軍隊を維持し、それで広大な領土を服属させましたが、軍国主義は、結局は一つの弱点であることが証明され、彼らは、カルデア人に屈服します。メソポタミアは、カルデア人が支配することになります。
 
 こうした変化の中、数学の歴史では、二つの段階が特に言及に値します。一つは、アラム人が商業算術をさらに高度なレベルへと発展させたこと。二つ目は、バビロニア人とカルデア人が、初期の天文学の文献をさらに発展させたことです。
 
 この頃までには、天文学は、特に優れた学問として認められるようになっていました。プトレマイオス(150年頃)は、BC721年のカルデア月食の記録と円を360度に分割していたことに触れています。
 
 占星術に関して言いますと、いかに高い評価がなされていたかを示す様々な粘土板が、この時期にあります。全般に、それらは次のような王への報告書です。「最近、私たちは、二三度火星を探しましたが、見出すことはできませんでした。もし、王様が、この火星が見えないことが何らかの予兆ではないのかとお尋ねになるのでしたら、私は、そうではないとお答えします。」
 
 学問(科学)は、ネブカドネザル王の治世の時に最高点に達しますが、メソポタミアの数学は、そのカルデアの衰退とともに存在しなくなりました。