◆アレクサンドリアの理論家◆


 ◆アレクサンドリアの理論家◆ 
 
 大雑把な言い方をすれば、この時代、ラテン語の資料はいつどのように音楽が使用されたかを、ギリシア語の資料は音楽のことを哲学者たちがどう考えていたかを教えてくれます。ローマの人々は実際的(現実的)でしたが、アレクサンドリアの人々は、--プロティヌスのようにローマに定住した人も含めて--理論家で過去の古典の学徒であり、当時の現実のことには余り関心がありませんでした。
 
 彼らは、ギリシアの偉大な思想家、ピュタゴラスプラトンアリストテレスやアリストクセノスにひどく傾倒し、彼ら特有のヘレニズムの才で丹念に研究し、それはしばしば原典に光を投げかけるというよりは曖昧で霞のかかったような複雑な形にして、後の数世紀に及ぶ時代伝えられるということが生じました。
 
 ゲラサのニコマコスは、ピュタゴラスの数の象徴主義の幻想的な体系の音楽と数の理論を研究しています。重要なのは新プラトン主義者たちですが、とりわけプロティヌスとその弟子でピュタゴラスの伝記作家でもあるポリフュリオス(porphyry)(233-304)、ポリフュリオスの弟子イアンブリコス(330年頃)が重要です。
 
 プロティヌスは、音楽の倫理的力に大きな力点をおきましたが、一方、異教徒で禁欲主義者のポリフュリオスは、音楽の持つ官能的な危険性を、特に芝居(マイム)と踊りとの関連で強調しました。音楽ほどの感覚的な媒体を通じて至高の神性に近づいてはならない。そして、イアンブリコスは、音楽という媒体を通しての劣った神性への接近という概念を一層推し進めました。
 
 こうした考え、特にポリフュリオスの考えは、彼の痛烈なキリスト教批判にもかかわらず、初期キリスト教の音楽への態度にかなりの影響を与えています。