◆初期キリスト教賛歌◆


 ◆初期キリスト教賛歌◆
 
 初期キリスト教では、詩編ユダヤ教詩編の音楽を忠実に真似ていたことはほとんど間違いありませんし、ずっと後になってもユダヤ教キリスト教との詩編の旋法の間には著しい類似点がありました。
 
 キリスト教の賛歌が、独自の道を歩んだのは、特にシリアで、異教的な宗派の間ででした。注目すべき例外が、文献だけですが「ピリピ人への手紙」第2章第6節から第11節までにあり、それは五つの三行連で、それぞれの行に東洋風の強勢が三つあると言います。また外典である「ヨハネ行伝」の「イエスの賛歌」は、異教起源のものから採り入れられたことを示しています。
 
 オルフェウスの絵画の一つはキリストを、カタコウムのキリストはオルフェウスを思い起こさせますし、アレクサンドリアのクレメンスによって描かれたキリストとオルフェウスとの間にも類似点が感じられます。それは、踊り、器楽音楽、異教異端との関連を示しており、こうしたことを教父たちは非常に恐れていました。
 
 私たちは、エジプトのオクシュリンコス出土の断片を持っていて、それには3世紀後半のキリスト教賛歌の終わりの部分が、言葉だけでなく音楽も書かれ、音の高低だけでなくリズムも記譜されています。それは、全音階でメリスマ的、旋律の定型の繰り返しの印が付けられているものです。