◆キリスト教公認◆


 ◆キリスト教公認◆

 キリスト教公認は、新たな文化の中心がビザンティウムに確立された時と一致していました。それ以前からヘレニズム・ローマ文明の範囲は狭められていましたが。例えば、ペルシアでは2世紀後半に反乱が起こり、226年以降はササン朝ペルシアの下に統一されます。西方では、野蛮な民族(ゲルマン民族)が帝国を圧迫し続け、ついには西ローマ帝国を滅ぼしてしまいます。

 ゲルマン民族の音楽については、タキトゥスその他の人々によって軽蔑されたように語られているのを知っているのみです。また、はるかに高度に洗練されたペルシアの音楽についても、それがササン朝の諸王の下、特に才能ある音楽家で多くの歌い手や踊り手をインドから連れてきたバフラーム・グール(Bahram Gur)(420-38)の下で栄えたことを除いては、あまり多くのことは知られていません。古くからよく知られていた西アジアの楽器が、常に用いられたという図像や文献の証拠はありますが。

 西洋では、新しくやってきた者たちが法律、建築、さらに言語や宗教も採用して変えていったように、ローマ世界の音楽も採り入れて変えていったことは疑いなく確かなことでしょう。

 キリスト教の音楽、特に西洋の教会音楽は、他に類をみないほどの重要な歴史的役割を演ずるようになります。音楽を記録し書かれた資料とする方法へと進み、聖職者たちによって豊かに発展させられたのです。一方、世俗の音楽は、たとえあったとしても、どの程度まで豊かになっていたのか推測すらできません。世俗音楽は、すべて歴史の闇の彼方に消えてしまったからです。