◆4世紀後半の教父たち◆


 ◆4世紀後半の教父たち◆

 4世紀後半の教父たち、聖ヒエロニムス(330-420)、聖アウグスティヌス(354-430)、聖アンブロシウス(340-97)、聖ヨハネス・クリソストムス(345-407)の著作では、音楽に対する考えは、それまでの人たちと本質的な違いは何も示していません。彼らは皆音楽の持つ力を認めていました。

 とりわけアウグスティヌスは「告白(Book IXとX)の有名な節の中で、それを認めているばかりか、詩編注解の中で繰り返し述べています。実のところ、彼は音楽の持つ官能的な快楽への誘惑への怖れと善へと導く音楽の力との認識との間で激しく揺れ動いていました。その音楽の力ゆえに、教父たちは異教や劇場を連想させるということで、私的生活でさえ、音楽、特に器楽音楽を恐れ遠ざけていたのです。

 詩編の朗唱は「ギリシア人の間だけでなく、バルバロイ(野蛮人)の間でも」広く行われていました。東方のアンティフォナやレスポンソリウムによる詩編朗唱の礼拝は、聖ヨハネス・クリストムスによってビザンティウムに、聖アンブロシウスによってミラノに導入されています。

 キリスト教音楽のもう一つの重要なカテゴリーである賛美歌も、その時期にかなりな変化が生じています。革新は再び東方からやってきます。キリスト教徒たちは、正統も異端も急激に新たに書かれたり作曲されたりした賛美歌で、典礼音楽を豊かなものにしてきました。しかし、これらは非常な勢いで広まり、偽りの教義を広めるのに非常な効果を発揮したため、ラオディケア会議(360-81)では、聖書のテキストでないすべての歌を典礼で用いることを禁止します。

 ところが、シリア人のエフライム(Ephraem 306-73)は、シリアの詩と音楽に基づく、さらに一層普及した賛美歌を新たに制定することができました。その中では、音の長短のリズムを基盤とする詩が、アクセントのある音節の規則正しいパターンの等音節の詩にとって代わられています。これは、賛美歌のすべてのスタンザを同じ旋律に合わせて歌うことを可能にしたばかりでなく、二つ以上の賛美歌の詩に、広く知られている旋律を用いることを可能にしました。