◆記譜法◆


 ◆記譜法◆

 さて、今回は記譜法に触れてみます。

 西洋には、音楽の理論も記譜法も東方からやって来ます。ボエティウス(Boethius)(c.480-524)は古いギリシア文字の記譜法に精通していましたが、彼は「音楽の理論について(De Institutione Musica)」の中で、テトラコードの長たらしいギリシア語の名前とテトラコードの音符の位置の略号としてローマ(ラテン)文字を使いました。(章が異なると、略し方が異なるなど混乱していますが)それで、人々は、ヒュパーテ・メソン(真ん中のテトラコードのヒュパーテ)を単にD、パルヒュパーテ・メソンをEなどと呼ぶことができたのです。ただ、紛らわしいことに、ギリシアの「音の」記譜法では、アルファ(Α)は最も高い音を表していますが、ボエティウスは、最も低い音符にAを用いているのですが。

 しかし、大雑把な言い方ですが、こうした古い文字の記譜は、最初のキリスト教紀元1000年の間に、実際の使用から理論家たちの手に移っていってしまい、別の記号の体系、元来はテキストを「声に出して発音する方法(エクフォネシス)(ekphonesis)」を規則化したアクセント記号から発展したものですが、それが、西洋で実際に用いられる記譜法に成長していくルーツとなりました。

 文字の記譜法は、それぞれの音の高さを表しており、結果として、テトラコードの体系によって、近隣の音との間隔の関係を表していましたが、エクフォネシスの記号は、正しいアクセント、抑揚、句読法を表すために印を付ける経験的な工夫であり、そのどちらも表してはいませんでした。

 エクフォネシスの記号は、ヘレニズムの(作詩法の)韻律の符号に由来するもので、音高の意味で初めて採用されたとき、最も小さな旋律の一部で、漠然とした関係を示すことができるに過ぎませんでした。4世紀の終わりまでは、それがビザンティウムの聖句集で、ずっと用いられてきたと考えられています。

 これらは、話し方(発声)の方法と関連があり、ギリシア悲劇のデクラマチオン(declamation=朗読法)、ヘブライ詩編のカンティレーション(cantillation=朗詠法)、レシタティヴォやシュプレッヒゲザング(Sprechgesang=叙唱)のような、普通の会話と本当の歌との中間にあるものでした。

 しかし、こうした工夫は、ほんのゆっくりとしか西洋には広まりませんでした。カッシオドルスは、記譜法について何も語っていませんし、セビリアのイシドルス (Isidore of Seville(c.560-636))も「もし、音が記憶に留められなければ、それらは失われる。なぜなら、それらは書きとどめておくことができないから。(Nisi enim ab homine memoria teneantur, soni pereunt, quia scribi non possunt)」と言っているぐらいです。

 ラテン語の聖句集の初期の句読点の記号は、単にそういうものに過ぎず、音楽的な意味はありませんでした。アルクィンの「音楽について(De Musica)」の中でも、記譜法について全く触れられていませんし、モン・ブランダン(Mont-Blandin)やモンツァ(Monza) のアンティフォナーレの中にもありません。更に後の、いくつか9世紀のものにもありません。「ローマ」の聖歌に特別な関心のあったところのコルビーのグラドゥアーレの中にさえないのです。