◆ネウマ譜◆


 ◆ネウマ譜◆

 ラテンのネウマ譜が間違いなく現れるのは9世紀半ばです。ネウマ譜とは「符号・合図」などの意味を表すギリシア語のネウマ(νευμα)という言葉からそう呼ばれるのですが、それ以前のものをネウマ譜と呼ぶには慎重でなければならないでしょう。というのは、ネウマ譜は後に古いテキストに書き加えられることもあったからです。

 このネウマ譜は、同一のものではないとしても、より古いビザンティウムのネウマ譜と明らかに関係があるでしょう。最も初期のネウマ譜の例が、トゥルネ(Tournai)の教区にあるサンタマン(St.Amand)の写本にありますが、それは、グロリアのギリシア語テキストをローマ文字に音写したテキストの上に書かれているものです。平行して書かれているラテン語訳には、何も付いていません。

 10世紀になりますと、ネウマ譜は至るところに現れます。特に、現在フランスにあたるところ--サンタマン、リヨン、パリ、ランス、コルビー、メッス--やエッセン(ここにはフランクの宣教団があったところ)、有名なトロープス曲集のあるウィンチェスターなどに。

 ところが、現在までのところ、イタリアにはほとんど何もでてこないのです。奇妙で疑わしいモデナの修道院図書館(Chapter Library)にある歌の断片と、メッスの影響が見られるコモのいくつかを除けば。

 ネウマ譜について最も早く著作した西洋人はアウレリアヌス・レオメンシス(Aurerian of Leome)です。彼の「ムシカ・ディスキプリナ(Musica disciplina)」は、9世紀頃のものと見られていますが、単にギリシア語の名称をいくつか翻訳したものに過ぎません。もう一人の9世紀あるいは10世紀の著述家、南ドイツの名前不詳の人は、ネウマ譜はリズムも示すことができたことを明らかにしています。

 声の抑揚は、音のアクセントと音節の脚韻で示されています。つまり、アクトゥス(acutus)、グラヴィス(gravis)、キルクムフレクスス(circumflexus)といった音のアクセント、ブレヴィス(短)、ロンガ(長)といった音節の脚韻で。このアクセントからネウマ譜として知られる図形(音符)が生まれました。

 彼の専門用語のいくつかは、後の時代と同じではありません。しかし、彼のネウマ譜が、上昇と下降、長短(ロンガは、恐らく、ブレヴィスのおよそ二倍の長さ)を示しているのは明らかで、小さな旋律の定型を示すのに書き加えることもできました。単旋律聖歌は、この時代リズム的に演奏されたということは、アルクィンの詩の韻律によって、確かめられています。それによれば、リズムは詩の音節の長短に基づいていることを示しています。いくつかの写本ではリズムを表す記号が見られますし、また歌う時、リズムを取るのに用いられた拍子木の記録なども残っているのです。