◆メネラオスとニコマコス◆


 ◆メネラオスとニコマコス◆

 ギリシア数学の衰退期に何らかの天才を示した人の中で、メネラオスは最も優れた人の一人でありました。アレクサンドリアの生まれで、球体について、特に球面三角形の幾何学的特性に関する論文を書いています。

 彼は、98年にローマで天文観測をしたことでも知られています。球体の論文の他で、彼の最も重要な定理の一つは、もし三角形を形作る三本の直線が、横断線(transversal)で切断されるなら、共通の端点(extremity)をもたない3つの線分の長さの積は、他の3つの(線分の長さの)積に等しい、というものです。(メネラオスの定理)

 算術についてのギリシアの著述家の中でも、最もよく知られているのは、最も偉大な算術家というわけではないのですが、ゲラサのニコマコスです。彼は、エルサレムの北東にあるとある町で生まれ、恐らく起源1世紀の終わり頃に生きていたものと考えられています。

 ニコマコスは、音楽についての論文と算術に関する二つの書でなる著作を書きました。私たちに伝わっているその算術は、失われて久しいより大きな著作の要約にすぎないかもしれません。その著作のいくつかは、ボエティウスに知られていたように思われ、算術に関するボエティウス自身の論文を編集するのに用いられたように思えます。

 ニコマコスは、当時アレクサンドリアで盛んであった哲学者の一学派で、ピタゴラスの教えを復活させようとしていたネオ・ピタゴラス主義に属していました。それで、彼の算術に関する多くの話の中に、かなりの量のピタゴラスの数の理論が入っています。

 時代は、知的衰退の時代でした。彼が、一級の著述家によって書き留められなかった分野の古代の教えを要約しなかったなら、私たちは、彼のことを決して耳にすることはなかったでしょう。彼の算術は、科学として学問的に扱っているのではなく、むしろ哲学への導入(手引き)でした。それ以上に優れたものがなかったので、わずかに残っていた哲学の学校でテキストとして採用されたのです。そして、ボエティウスが、その影響を高めるために多くのことをしました。

 ニコマコスは、エラトステネスのふるいに言及し、しばしば、ピタゴラスの教義を引用しています。彼は、著作の中で、ギリシアの九九の表の初期の形のものを載せています。詳細な九九の表は、バビロニアの粘土板で発見されているのですが、古代の蝋板のものを除けば、それより古いギリシアの例は知られていません。中世では、それはメンサ・ピュタゴリカ(mensa Pythagorica=ピタゴラスの表)と呼ばれていました。

 ニコマコスのもう一つの著作、テオログメナ(Theologumena)は失われてしまいました。現存するその名の著作は、後に編集されたものです。