◆Our Lady of Fatima◆


 (さて、今回も「Maiharaの戯言」からの転載。後半部は省略)

 ◆Our Lady of Fatima

今日5月13日は、ポルトガルの小さな村ファティマで三人の牧童に聖母マリアが出現した日というので、カトリック教会暦では今日はそれを記念する日となっている。

ファティマの奇跡とか、ファティマの予言とかいろいろと話題になることも多いので、ちょっとそれについて書いてみよう。

英語では、Our Lady of Fatimaであるが、どこかに書いたような気もするが、Our Ladyと言うのは、フランス語で Notre Dame、イタリア語で Ma Donna、要するに「聖母マリア」のことである。

聖母マリアが、1917年ポルトガルの三人の羊飼いの子どもたち - ルチア、ヤシンタ、フランシスコ - に現れたことから、この名(ファティマの聖母)で礼拝されている。ファティマのメッセージには、心からの改心、罪の悔い改め、特にロザリオの祈りを通しての聖母マリア信仰、の呼びかけが含まれている。

この記念日はアメリカのカトリック教会暦には新しいものであり、5月13日に定められている。

ファティマの聖母

聖母マリアがファティマの子どもたちに現れたのは、第一次世界大戦中の1917年の夏のことであった。レイリア(ポルトガル)教区のこの小さな村の住民は、ほとんどが貧しく、その多くが、日中は畑を耕したり動物の世話に出かける質素な農民であった。子どもたちは、伝統的に、羊飼いの仕事が与えられていた。

マリアの出現に出会った三人の子どもたちは、純粋に敬虔な雰囲気の中で育てられた。ルシア・ドス・サントス(10歳)と彼女より年下の従弟妹フランシスコとヤシンタである。彼らは一緒に羊の世話をし、ルシアが中心になって、野外でひざまづいてロザリオをよく祈ったものだった。

1917年5月13日の日曜日、正午頃、稲妻が子どもたちの注意を引き付けた。そして、彼らは、コヴァ・ダ・イリアの木立の上に輝く姿が現れたのを見た。「聖母」は彼らに罪人の改心と戦争の終結の祈りをするよう彼らに求め、毎月13日にその場所に来るように求めた。

6月の13日にも7月の13日にも聖母は現れた。8月13日には、子どもたちは現地の当局によってコヴァ・ダ・イリアに行くことを妨害されたが、彼らは19日にその姿を見た。9月13日には、聖母は、戦争終結のためにロザリオの祈りを唱えることを求めた。最後の10月13日には、「聖母」は自らを「ロザリオの聖母マリア」と称し、再び、祈りと悔い改めとを求めた。

その日には、自然の現象も起こった。太陽は空から落ち地球に衝突したように思われた。子どもたちは最初に聖母が現れた5月13日にそのことを知らされていた。大群衆(およそ3万人の証言者)が子どもたちの周りに集まり、その現象を見て驚嘆した。

子どもたちが、コヴァ・ダ・イリアで見た「幻影」が公式に認められたのは、1930年10月13日である。レイリアの司教がその地での「ロザリオの聖母マリア礼拝」の公認を長く求め続けた後。子どもたちは - フランシスコ(出現を見たが、言葉は聞かなかった)1919年4月4日に、ヤシンタは1920年2月20日に死亡した。ルシアは、ポルトガルコインブラカルメラ修道院で、長い病気の後2月13日に死亡した。