◆パッポス他◆


 ◆パッポス他◆

 ディオファントゥスの時代とそう遠くない時期に、新(ネオ)プラトン主義者、ポルフュリオス(Porphyrius)が活躍していました。彼は、ピタゴラスの生涯について、プトレマイオスの音楽についての著作を書いています。彼は、アテネとローマに住んでいましたが、しばらくシチリアで過ごしたこともあるようです。主として、哲学的著作、キリスト教への反駁で知られています。彼の墓、あるいは、彼の墓と伝承されているものを、今日でもコンスタンティノープルで見いだすことができます。

 アナトリオスとポルフュリオスの弟子の一人が、算術についての著作を含むいくつかの著作を書いたイアンブリコス(Iam'blichus)です。彼は、ニコマコスについての注釈を書いています。また、私たちは、ニコマコスやピタゴラス、その他のギリシアの著述家に関するかなりの情報を彼に負っています。3つの整数、3n, 3n+1, 3n+2の合計に等しい数を取り、その数のそれぞれの桁の数を足し算する。その結果のそれぞれの数の桁の数を更に足し算するというように繰り返していくと、最終的にその合計は6になるという公理は、彼によるものです。

 390年頃、若いテオン(Theon the Younger)、学識あるヒュパティアの父として知られるアレクサンドリアのテオンは、エウクレイデス(ユークリッド)の「幾何学原論」とプトレマイオスの偉大な著作を編集・校訂し、様々な学問的論文を書きました。そして、60進法の分数(60分数=sexagesimal fraction)の助けを借りて、平方根を見つける方法を示しました。彼の版のエウクレイデス(ユークリッド)の写本は、「幾何学原論」の正確なテキストを決定する上で、現代の著述家たちの役にずっと立ってきました。

 アレクサンドリアのパッポス(Pappus)は、ギリシア後期の幾何学者で、年代は確かではないのですが、恐らく3世紀に活躍したと思われます。それほど厳密ではない著述家のスイダス(10世紀頃)は、テオドシウスの治世下に彼を置いていますが、それより2世紀も前に生きていたと信じているものもいます。彼の偉大な著作のうち、数学大全(Mathematical Collection)は、本来8書からなっていましたが、後半の6書だけしか、私たちには伝わっていません。

第3書は、比例、内接する立体、立方体の体積を二倍にする問題を扱っています。第4書は、スパイラル、クアドラトリクス(quadratrix)などの他の高次平面曲線を、第5書は、極大(maximum)と等周図形(isoperimetric figures)を、第6書は、球を、第7書は、ギリシア人の解析法とその歴史を、そして第8書は、機械学を扱っています。彼の名は、二つの有名な定理に付けられています。一つは、軸の回りに平面図形を回転させることで生ずる立体(回転体)についての、後にグルディン(Guldin)の定理として知られているもの、もう一つは、ピタゴラスの定理を一般化したものです。