◆フクバルトの著作◆


 ◆フクバルトの著作◆

 さて、今回から、西洋のポリフォニーの発展の歴史に入っていきます。

 ヘテロフォニーより少し複雑な西洋の最も初期のポリフォニーに間違いなく言及しているのは、トゥルネ(Tournai)の教区にあるサン・タマンの修道士、フクバルト(c.840-930) による論文「調和の体系について(音楽教程)(De Institutione Harmonica)」です。カッシオドルスやセヴィリアのイシドルス、アウレリアヌス・レオメンシスが、シュンフォニア(symphonia)について書くときは、同時でない連続する音の一致を意味しているのですが、フクバルトは、同時に起こる音を意味していることは確かなように思えます。

 コンソナンティア(Consonantia)は...二つの音が規定されともに調和的に混ざり合ったものである。それは、男性と少年の声で、同時に歌うときのように、二つの異なった音が、一つのモドゥラチオ(modulatio)で同時に起こったときだけに生ずるだろう。或いは、人が普通、オルガニザチオ (organizatio(sic))と呼んでいるものにおいて起こったときに。

 ここでは、二つの点が重要です。楽器(organa)を含めたポリフォニーの実践のためのオルガニザチオ(organizatio)という言葉と、もしコンソナンチア(consonantia)--フクバルトは、これを四度、五度とオクターヴと定義し、それぞれ更に1オクターヴと組み合わされることもありましたが--が、本当に「規定された (rata)」のなら、ネウマより正確な音高を表す記譜法が必要になること。そして、彼が、旋律の一部が、ポリフォニーではありませんが、正確に平行音程を示すために、記譜するダイアグラムを与えていることは、十分確かなことです。

しかし、フクバルトのダイアグラムは、一般的な記譜体系の基盤ではありませんでした。それはあまりにも煩わしく、彼自身、論文の他の所では、ネウマを用いているほどです。ネウマは、遅速や声の震え(tremula)などを示すことができたからです。そのダイアグラムは、彼の音楽理論を議論する上でのテキストの図解に他なりません。彼は、それはボエティウスに起源があると告白しています。事実、ボエティウスを簡略化し、当代風にしたものと説明できるかも知れませんが、実は、それはアリストクセノスにまで遡るものです。

彼の体系は、全音と半音とSTTテトラコードで構成することができる方法を描いたダイアグラムの助けを借りて説明され、本質的には、二つの同一の「結合型の」オクターヴでできています。

フクバルトは、非常に実際的な理論家であったばかりでなく、作曲家でもありました。彼は聖ペテロ、聖アンドレアス、そして聖テオドリクスの聖務日課と「Quem vere pia laus」という言葉で始まる讃歌(laudes)を作曲したことで知られています。それは、レンバート(?)(Rembert Weakland)が指摘したように、十世紀後半からずっと多くの資料の中で発見されたポピュラーなグロリア・トロープスであるに違いありません。

「調和の体系について」に加えて、多くの論文が、かつてはフクバルトのものとされました。しかし、今では、恐らく彼によるものではない、あるいは確実にそうではないと長らく認められています。編集にはかかわったかも知れませんが。その一つ「もう一つの音楽(Alia Musica)」は、教会旋法に関するもので、ギリシアハルモニアイという名称を誤用することになった嘆かわしい内容も含まれています。

フクバルトと同じように、その著者あるいは著者達は、終止音が旋法を決めるものと考えていますが--旋律は、終止音(finalis)の上5度あるいは下4度の間のどの音からでも始められる--、一方、より初期のピリュムのレギーノ(Regino of Prum)のような理論家は、その開始音を旋法を決めるものと見なしているのです。