◆ヒュパティアとプロクロス◆


 ◆ヒュパティアとプロクロス◆

 さて、今回はヒュパティアとプロクロスについてお話しましょう。

 アレクサンドリアのヒュパティアは、数学において、何らかの注目すべき地位にいた最初の女性です。数学史上最初の女性ということと、彼女の殉教(死)のため、歴史上非常に高い地位が与えられています。彼女は、テオンの娘であり弟子でありました。彼女の学識は、伝承によれば、アレクサンドリアの新プラトン学派を統轄するよう求められるほどでした。

しかし、彼女の場合、スイダス(10世紀頃)が、新プラトン主義者のガザのイシドルスと結婚した書いているような歴史にまつわる話の多くは、フィクションであるように思えます。一方で、彼女が敵対する学派の学徒たちと町で議論していて殺害されたというのは確かなように思えます。スイダスは、彼女はディオファントスの天文表についての注釈とアポロニウスの円錐曲線についての注釈を書いたと言っていますが、彼女の著作はすべて失われて、残っているものはありません。

 プロクロスは、哲学の分野でプラトンの後継者とみなされていましたので、「継承者(Successor)」とあだ名されており、アレクサンドリアで学び、アテネで教えていました。彼は、多作家であり、彼の著作には、プトレマイオスの難解な部分を分かりやすく言い換えたものや天文学についての著作、ユークリッドの第一書の注釈、また、占星術についての短い論文などがあります。また、高次平面曲線の研究をした証拠もあります。

彼の著作は、ギリシア幾何学の歴史についての貴重な情報源です。彼の生涯についての情報は、パレスティナ(古くはシケム)のフラヴィア・ネアポリスマリノスによるものです。マリノスは、AD485年に彼の後を継いでいます。このマリノスは、ユダヤ人学者である確率が極めて高いようです。