◆カンタベリー大聖堂◆
◆カンタベリー大聖堂◆
12月29日は、カンタベリー大聖堂で殉教した聖トーマス・ベケットの祝祭日だというので、Maiharaの戯言にその話を少し書き込んだのだが、ここでは、そのカンタベリー大聖堂の歴史について少々書いてみようかなと思う。少し長いので、次回と2回に分けて書くことにする。
参照は、Canterbury Cathedral Online - History & Building
カンタベリーの最初の大司教は、聖オーガスタン(アウグスティヌス)である。彼は、ローマからグレゴリウス大教皇によって派遣され、AD597年にイングランドへの宣教団としてケントの海岸に到着する。グレゴリウスは、市場で「アングル族」の奴隷を見、彼らの美しさに打たれ、「アングル族ではなくエンジェルだ」と言ったという話が伝えられている。そうした人々を、彼はキリスト教に改宗させるべきだと考え、オーガスタンを初めとする修道士たちにイングランドに向かうよう命じた。
到着すると、オーガスタンは、すでにキリスト教徒であったその地の王エセルバートと女王バーサによってカンタベリーに教会が与えられる。この建物は、ローマがイギリスを占領している間、礼拝地であったところである。
やがて、司教に聖別されオーガスタンは、この地に最初のカンタベリー大司教として司教座を確立する。現在の大司教ロウワン・ウィリアムズは、第104代目である。
10世紀まで、その共同体は、大司教の世帯として規則正しい生活を送る聖職者の一家であった。998年まで、公式の修道院共同体として聖ベネディクトゥスの戒律で生活していた証拠は見いだせない。ベネディクト会修道院としての共同体は、1540年に修道院が解散されるまで続いた。
カンタベリー大聖堂は、多くの偉大な教会人や国家の人物と結びついている。カンタベリーの聖人として、オーガスタン、セオドール、オド、アンセルム、トーマス、エドムンドなどカンタベリーの大司教であった人々がいて、広く崇敬を集めている。
その中で最も有名なのは、トーマス・ベケットである。彼は、1170年12月29日に大聖堂で殺害された。彼の王であり友人であるヘンリー2世によって任命され教会を王権に従わせるよう求められたが、彼は反対のことをした。教会を支配しようとする王の欲望に対して自らの権利を主張した。
その話を聞いた4人の騎士が、国王に取り入ろうとカンタベリーにやってきて、まさにその大聖堂でその大司教を殺害した。
-- 続く --