◆典礼劇(その2)◆


 ◆典礼劇(その2)◆

 続く2・3世紀の間に、「Quem queritis」はヨーロッパ中に広まり、勿論、ありとあらゆる種類の異文や付加があるのですが、本質的には同じテキストと音楽で、時折、11世紀や12世紀の Piacenza.Bibl.Capit.65.のような、舞台指示(ト書き)が朱書きで書き入れられました。「マリアたちは墓に近づきながら歌う。女たちは立ち去り、使徒たちに告げる。」のような。

さらに後の時代になると、復活したキリストの場面があります。独立した曲が作られ導入されることもありました。特に好まれたのは、帝国礼拝堂牧師(Imperial Chaplain)のウィーポ(Wipo)(c.995-c.1050)によるセクエンティア「過ぎ越しの祝いの犠牲の讃歌(Victimae paschali laudes)」でした。これらの旋律の一つは、何世代にもわたって、音を響かせ続け、今日でも、復活祭のミサでカトリック教徒によって、また、バッハ・ヴァージョン「キリストは死の桎梏につながれし(Christ lag in odesbanden)」として最もよく知られているプロテスタントの信者たちによって歌われています。

 復活祭の劇の理念は、教会暦の他の行事にすぐさま応用されます。実際、11世紀の「聖マルティアリス」写本の二つ、Bibl.Nat.lat.903と 1084には、「飼い葉桶の中に誰を捜しているのか、羊飼いたちよ(Quem queritis in presepe pastores?)」で始まるトロープスが含まれています。それは、次第にエピファニーの劇に、そして、ヘロデを中心に据えたずっと大きな真の演劇の要素を持つ劇になっていきました。

 ほとんど同じ時期、私たちは別の種類の宗教劇のことを耳にします。それは、修道院の学校の生徒たちによって、ある時は守護聖人を祝して、ある時は旧約聖書の主題に基づいて演じられました。アレクサンドリアの聖エカテリーナ(Catharine)を祝したそうした劇が、1110年に、ダンスタブル(Dunstable)で上演されました。少し後には、Bibl.Nat.lat.11331の中に、アベラールの弟子、ヒラリウス (Hilarius)という名のゴリアルディ(goliard)、遊歴書生による三つの短い劇があります。「ラザロの復活 (Suscitatio Lazari)」、かなりの量のフランス語のテキストのある「聖ニコラウスのイコンについての戯曲(Ludus super Iconia Sancti Nicolai)」そして、「ダニエルの上演用物語(Historia de Daniel Representanda)」です。

これらは確かに歌われましたが、残念なことに、音楽は書かれませんでした。音楽の保存されている完全なスコラ(学校)劇は、 Brit.Lib.Egerton.2615の中の、ボヴェ(Beauvais)による有名な「ダニエルの劇(Ludus Danielis)」まで、後一世紀待たなければなりませんでした。