◆ルルドの聖母マリア(Our Lady of Lourdes)◆


 ◆ルルド聖母マリア(Our Lady of Lourdes)◆

 2月11日は、日本では建国記念の日であることは、皆さんもよくご存じだと思うのだが、カトリック教会典礼暦では、ルルド聖母マリアの祝祭日というので、それについて書いてみよう。ルルド聖母マリアのことは知らなくても、ルルドの泉の奇跡の水の話はよくご存じの方も多いと思うので。

 参照は、New Advent - Notre-Dame de Lourdes
 

 ルルドへの巡礼は、聖母マリアが、貧しい14歳の少女ベネデット・スビル(Bernadette Soubiroux)に現れたことに基づいている。最初に出現したのは、1858年2月11日である。全部で18回現れた。最後に現れたのは、同じ年の7月16日である。ベネデットは、しばしば恍惚状態に陥った。彼女がマッサビエィユ(Massabielle)の洞窟で見た神秘的な幻影は、若く美しい淑女であった。「見たこともないほど愛らしい」と少女は語っている。しかし、彼女は、その幻影を見た唯一の人であった。多くの人が、彼女と一緒にいた時もあったのだが。時々、その幻影は少女に話しかけた。その声を聞いたのも彼女唯一人であった。

ある日、幻影は彼女に洞窟の中にある謎の泉の水を飲むように言った。そんな泉のあることは知られていず、泉のようなものは何もなかったが、すぐに水がわき出した。また、ある時には、その場所に礼拝堂を建て、洞窟で行列の儀式を行ってくれるよう聖職者たちに伝えて欲しいと、ベネデットに告げた。最初、聖職者たちは信じなかったが、わずか4年後の 1862年に、その教区の司教が「聖母マリア出現の真実が正当化された」と信者たちに宣言され、マッサビエィユの岩の上に聖堂が建てられた。1873年には、偉大なフランスの「国家の」巡礼として認められた。3年後、聖堂は聖別され、彫像が建立された。1883年に、最初のものが小さくなったので、別の教会の礎石が置かれた。それは、聖堂の足下に建てられ、1901年に聖別され、ロザリオ教会(the Church of the Rosary)と呼ばれた。教皇レオXIII世が、聖母マリア出現を記念して、特別の聖務とミサを捧げた。1907年には、ピウスX世が、この祝祭日を全教会が祝うよう定めた。

 -- 続く --