◆ルルドの聖母マリア(Our Lady of Lourdes)◆


 ◆ルルド聖母マリア(Our Lady of Lourdes)◆

 これほどの群衆を集めた聖所はこれまでなかった。1908年の終わりに、マリア出現の50周年の記念日が祝われたとき、本当は1867年から始まったに過ぎないのだが、5297人の巡礼団が登録され、4,919,000人の巡礼者がやってきた。個人の巡礼者は、グループで来た人たちより遙かに多い。その数に、巡礼ではなく宗教的感情によって、あるいは単にあまりにも有名な場所だから訪れてみたいという気持ちだけで来た人も加えられなければならないだろう。

ミディ鉄道会社は、ルルド駅には年に100万人以上の旅行客が訪れたと見積もっている。世界のあらゆる国からも訪れている。上述の巡礼団の他に、464の巡礼団がフランス以外の国からやってきている。アメリカ合衆国やドイツ、ベルギー、オーストリアハンガリー、スペイン、ポルトガル、イタリア、イギリス、アイルランド、カナダ、ブラジル、ボリヴィアなど。司教たちが道を示した。50周年記念の終わりには、2013人の高位聖職者、546人の大司教、10人の主座大司教、19人の総大司教、69人の枢機卿を含む人たちがルルドに巡礼を行っている。

しかし、多くの巡礼者よりさらに注目すべきことは、その世に知られた聖所の保護の下で起こった一連の驚くべき出来事だろう。しばしば人間の観察から逃れる精神的な治癒はさておいて、肉体的病に限定することにする。この記事の著者は、あらゆる治癒、部分的であれ完治であれ、を記録している。その廟ができて50年でその数 3962を数えている。

治癒した患者の名前、洗礼名、治癒の日時、病の名、そして、全般的にその患者を診察した医師の名のあるきわめて慎重な統計であるにもかかわらず、また、疑いある間違いのケースも避けられないことであるにもかかわらず、全体として、苦しめる者の興奮に起因し、時とともにやがて消え失せるものではあったが。しかし、記しておく権利だけはある。先ず、これらの避けられない間違いは、他のもののように、特別な研究の対象ではなかった二次的なものとみなされること。その数は、記録されなかった現実の数に等しいかそれ以上であったことに気づかなければならない。

治癒した人々は、自らを明らかにするよう義務づけられていなかったし、彼らの半数は、ルルドのthe Bureau des Constatations Medicalesに姿を見せなかっただろうから。治癒のリストが作成されたのは、この事務当局の報告によるものだから。

巡礼が始まって50年の間に、4000人が治癒したと見られていることは、疑いなく、かなり現実の数よりは少ないだろう。Bureau des Constatationsは、廟の近くにあり、病人の証明書を、また治癒の証明書を記録したりチェックしたりしている。国籍や宗教的信仰が何であれ、すべての医師に解放されている。それ故、標準的に、年間2・3百人の医師がこの驚くべきクリニックを訪問している。治癒した病気の性質に関して言うと、神経系の異常が非常に多く言及されているが、全体の14分の1も満たしていない。全体で 3962のうち、278数えるに過ぎない。

現代の著述家は、それぞれの病気の数を出版しており、その中には、肺結核、腫瘍、腫れ物、癌、難聴、盲目などが含まれている。