◆ verse(韻文)とprose(散文)◆
◆ verse(韻文)とprose(散文)◆
この間の英文法の問題集を読んでいると、verse(韻文)と prose(散文)は対義語だというのが出てきたのだが、子供たちに聞いてみると、韻文と散文の違いについてどうもよく分かっていない風であった。
そうか、最近の子供たちは、韻文と散文の区別も分からないのか、と思ったのだが、正直なところ、私たちの世代から、実は怪しかった気がしないでもない。
で、今日は韻文と散文のお話。
「韻文とは、韻を踏んでいる文章。散文とは、韻を踏まない文章。」という風に説明はするのだが、じゃあ「韻って何?」と聞くと、これもまた、なかなか答えられない。
韻と言うと、頭韻とか脚韻とかで、押韻ということになるのだが、日本の韻文はというと、どうも西洋の韻文とは少々違う感じがしないでもない。
そこで、辞書で確かめてみると、確かにそうだ。韻文には二つの意味があった。
(1)(漢詩・賦など)韻を踏んだ文。
(2)(詩や和歌・俳句など)韻律を整えた文。
漢詩などは韻を踏む韻文であるのだが、日本の詩歌、つまり日本の韻文は、基本的に韻律を整えた文、つまり定型詩文のことなのだ。
そこが紛らわしい。日本の詩歌は、七五調であったり五七調であったりということで、それが韻文と言えばことは簡単なのだが、最近の詩歌は、特に詩を作るというときの詩は、ほとんど口語自由詩ではないのか。それは、果たして韻文なのかと言われると、私は非常に困ってしまう。
韻を踏んでいるわけではない。(まれに韻を踏んでいるものもあるかも知れないが) 韻律を整えた定型詩文でもない。一体、それは何なのか。散文詩との違いは、わかち書きだけではないか。実に困った話である。
で、一応、ここでは、日本の韻文は定型詩文に限ることにしておこう。別の意見の人もいるかも知れないが。韻文=詩文ではないということである。
ついでに言うと、西洋の韻文は、明らかに韻を踏んだ韻文である。韻を踏んでいないものは散文である。英語でも、ロシア語でもイタリア語でもそうだ。詩を朗読するときには、最低限必要な知識でもある。いつかそんな話もしてみたいなと思っている。