◆カンティガ、ラウダ、ソング◆


 ◆カンティガ、ラウダ、ソング◆

 カスティリアアラゴン宮廷によるアルビジョワ派異端への十字軍にもかかわらず、プロヴァンスの歌は、南部には生き残ります。例えば、有名なトルバドール最後の人物、ギロー・リキエ(Guiraut Riquier)(1239-1300年)は、1252年から 1284年まで、カスティリアとレオンの王であった半ばドイツ人のアルフォンソ10世(賢王 =el Sabio)の庇護を受けています。

 アルフォンソ自身が、およそ30曲ほどの世俗の「愛と憎しみ(?)の歌(Cantigas de Amore e de Maldizer)」と聖母マリアの奇蹟と讃美に捧げられた 400曲以上の「聖母マリアの歌(Cantigas de Santa Maria)」の収集に関して責任があり、また、恐らくある程度作曲もしているでしょう。それらは、想像しうるあらゆる中世の楽器、(ムーア人起源の)弓形のラバーブ (rabab)やそれと幾分似たリーベック(rebec)、ヴィエル(vielle)、ギターやリュートに似た楽器、ダブル・カラムス(double- shawms)やラッパ、調律されたベルなど、実に様々な楽器の演奏者たちが描れている細密画(ミニアテュア)のある目にも鮮やかな装飾のついた写本に保存されています。

 楽器では、明らかにムーア人の影響が見てとれますが、音楽にはありません。宮廷のシャンソン(chanson courtois(宮廷歌))や教会音楽との旋律の類似性はありますが、それら元の曲(ソース)からのコントラファクタ(contrafacta)は、わずかしかありません。しかし、スペインの民衆音楽の匂いが時折感じられることがあります。

 より一層明確に民衆的であるのは、フランシスコ派の運動の産物であるそれと同時代のイタリアの宗教的ラウダ(laudi spirituali)でしょう。その精神は、宮廷歌よりもジョングルールに近いものです。聖フランシスコ自身が、弟子たちに、「神の道化師 (jocuratores Dei)」になるように教えています。

 英語の歌(ソング)に関して言いますと、13世紀中頃までは、文字通り「俗語」は、ノルマン・フランス語でした。それには、魅力的な恋愛歌"Bryd one brere"を含んでいて、深いペシミズムを感じさせますが、書き留められ保存された中世初期の英語の歌は、惨めなほど少ないのです。「音楽で書き留められた」ということでは、こう述べるべきでしょう。

 ベネディクトボイレン(Benediktbeuren)の修道院で収集された13世紀後半の有名な国際的な歌のアンソロジーカルミナ・ブラーナ (Carmina Burana)」--風刺詩(satire)、それに合わせて踊られる歌、恋愛と飲酒の歌、ゴリアルドとトルベール、ミンネジンガーの歌、いくつか作者の分かっているものもあるが、ほとんどは作者不詳、全般にラテン語だが、いくつかはバイエルン方言で書かれている--の中でさえ、旋律を持っている割合はほんのわずかに過ぎません。他の資料との一致から、時折(旋律が)見出されることもあるのですが。