◆ヴァラーハミヒラとブラフマグプタ◆


 ◆ヴァラーハミヒラとブラフマグプタ◆

 ヴァラーハミヒラ(Varahamihira)(505年頃)

 インドの天文学者たちの中に、ヴァラーハミヒラという名の人物が二人現れます。一人は、202年頃、もう一人は 505年頃に生きていたように思われます。この二人の学者のうち、後者は、初期のインドの天文学に関するすべての著述家の中で、最も有名です。彼は、いくつか著作を書いていますが、そのうち占星術天文学とを扱ったパンカ・シッダーンティカー(Panca Siddhantika)が最もよく知られています。

 それは、惑星の位置を求めるのに必要な計算法を含み、数学的天文学の発達した状態を示していますが、数学史の中で主として価値があるのは、この時代のすぐ前に書かれた5つのシッダーンタに関する記述のためです。彼は、ギリシア人の著作を評価するよう人々に説き、こう言っています。

ギリシア人は、不純ではあるが尊敬しなければならない。なぜなら、彼らは科学(学問)において訓練されており、その点で他の者たちに勝っているから。それだから、ブラーフマンが、自らの純粋さを科学(学問)の高さと結びつけたなら、私たちは、ブラーフマンのことをなんと言ったらよいであろうか。」

 ヴァラーハミヒラは、地球が球形であること教え、この点では、彼は中世のほとんど他のヒンディーの天文学者たちによって従われました。彼の著作のうち二つは、アルベルニ(1000年頃)によって、アラビア語に翻訳されています。

 ブラフマグプタ(Brahmagupta)

 7世紀のヒンドゥーの数学者の中で傑出しているのは、ブラフマグプタです。彼の活動時期は、天文学的なデータと様々なヒンドゥーの著述家たちとの証言の両方から 628年頃と定められています。彼は、ヒンドゥーの学問の偉大なる天文学の中心、中央インドのグウァリオル(Gwalior)州にある町、ウジジャイン(Ujjain)あるいはウジジャイニー(Ujjayni)で暮らし仕事をし、彼の父の統治時代、パトナでアショカ王の太守の地位にあったと言われています。ヴァラーハミヒラもまた、ウジジャインの天文観測所で自らの著作を書いています。

 わずか30才で、ブラフマグプタはブラフマシッダーンタ(Brahmasiddhanta)という題名の21章に及ぶ天文学の著作を書きました。それは、ガニタードハーヤ(Ganitad'haya)(算術についての講義)とクタカーディヤカ(Kutakhadyaka)(不定方程式についての講義)という特別の章を含んでいます。前者は、ガナカ(Ganaca)すなわち天文学を研究することが許される(資格のある)計算者の定義から始まっています。それによりますと、加法(足し算)など20の計算法の他、影による測定法を含む8つの測定法をそれぞれ個別に正確に知っている人がガナカです。