◆宮廷歌:その型、形式と演奏◆


 ◆宮廷歌:その型、形式と演奏◆

 同じ型は、プロヴァンスや北フランスそしてドイツでも見いだされます。

canso(愛の歌)や planh(嘆きの歌)のような四季を通じての型だけでなく、sirvente`s(文字通りの意味は「奉仕の」)やドイツの Spruchのような政治的道徳的内容を持つ特別の型まで。音楽の形式のいくつかは、他の形式に比べてしばらく永く生き残ることになります。

知られているエスタンピ(estampie)の中で最も初期の例は、二人のフランス人のジョグラーレ(joglares)が、モンフェッラ(montferra)のボニファティウスII世の宮廷で演奏した時、侯爵の姉妹が、彼女と恋に落ちていたレムボ・ドゥ・ヴァケイラ(Raimbaut de Vaqueiras)に、それに言葉をつけてくれるよう乞うたことから、偶然に保存されています。

彼は、よく知られた"Kalenda maya"(五月の一日も、ぶなの木の葉も、鳥の歌も〜ない。)を歌います。そして、彼の伝記作者は、「この"stampida"は、ジョグラーレがヴィオルで演奏した調べに合わせて作られた。(aquesta 'stampida fo facha a las notas de la 'stampida quel joglar fasion en las vidas)」と言っています。

このように、エスタンピ(estampie)は、純粋に器楽曲であり、ヴィルレ(virelai)のように、それに合わせて踊りが踊られた可能性もあります。これらすべての音楽詩の形式は、当然、ほとんど無限の様々な改変が可能でした。

 宮廷歌の実際の素材としての旋律は、教会音楽の旋律と同じように、非常に多くの定型として用いられたので、多くの歌の中に繰り返し現れます。実際には、その定型は、教会音楽の定型と同一のものもよくあります。記譜は、旋律の概要を十分明らかに示していますが、トルヴェールの歌の最も新しい重要なコレクションの一つ、すでに述べた、シャンソニエ・カンジェ(Chansonnier Cange')(1300年頃)を除けば、記譜は定量的ではありません。

シャンソニエ(Chansonnier)は、私たちに、旋律につけられた器楽伴奏であるように思えるものの知られる限り最初の例を私たちに与えてくれています。--以前に存在していたカントゥス・フィルムス(cantus firmus)上に作曲された旋律とは異なるものとして。--この仮定は、ある教会の旋律と器楽パートが同じであることから、すぐに覆えされるのですが。

 今日では、一般に、トルバドールとトルヴェールの歌は、恐らく「リズム・モード(rhythmic modes)」のどれかで歌われただろうということでは意見は一致しています。恐らく、よく知られていた12世紀の論文、「Discantus positio vulgaris」の中で最初に叙述されたもので、そこでは、6つの旋法は、トロカイック(trochaic)、イアンビック(iambic)、ダクティリック (dactylic)、アナパエスティック(anapaestic)、ロンガ(longae)のみとブレヴィス(breves)のみとして示されています。

著者は、ギリシア語の韻律の用語は用いていません。しかし、モーダル・リズム(リズム・モード)をトルヴェールの旋律にかなり厳格に適用しようという試みは、はじめは無条件に保護されましたが、それとほとんど同時に、1908-9年に、ピエール・オブリ(Pierre Aubry)やJ.B.ベック(Beck)によって、それ自体の異なる解釈が開かれ、後の学者たちによって、ずっと修正が加えられています。また、ドイツの韻文は、韻律の脚韻によってではなく、ストレス(アクセント)の音節で測られるので、ミンネリート(Minnelieder)にどこまで適用されたかは疑問です。