◆マハーヴィーラ◆


 ◆マハーヴィーラ

 この時期、偉大なヒンドゥーの著述家の第三の人物は、マハーヴィーラーカーリヤ、学識あるマハーヴィーラです。彼は、ガニタ・サーラ・サン
グラハ(Ganita-Sara-Sangraha)を書いています。この著述家は、恐らく、今日ミソレ(Mysore)の王国であるところを支配し、その名はアモガヴァルシャ・ニルパトゥンガとされる古いラーシュトラクータ(Rashtrakuta)の君主の一人の宮廷に住んでいたでしょう。

この王は、9世紀前半に王位についているので、私たちは大雑把に問題の著作(論文)の年代を 850年頃、すなわち前者の方に近いのですが、ブラフマグプタとバスカラとの間の年代、と定めることができるでしょう。

 その著作は、東洋の論文では珍しく、宗教的な性格の挨拶で始まります。この場合、その言葉は著者の守護者である聖人でブッダと同時代人である、ジャイナ(ジナ)(Jainas(Jinas))教の創設者に向けられています。

 全般にマハーヴィーラはプラフマグプタの著作を知っていたようだと言われています。そうでなければ奇妙なことになるでしょう。というのは、ブラーフマスプタ・シッダーンタ(Brahma-sphuta-siddhanta)は、恐らく、彼の時代、標準的な権威の一つとして認められていたはずだからです。

マハーヴィーラは、彼に先立つ人たちの著作を改良しようと努めたように思えます。確かに演算の分類や規則の表現の仕方、問題の性質や数においてそうしています。一つの結果として、彼の著作は南インドでは非常に有名になりました。ずっと北の方、ウジジャイン(Ujjain)に住んでいたバースカラ(Bhaskara) (1150年頃)が、それをよく知っていたという決定的な証拠は全くないのですが。