◆マグダラのマリア◆


 ◆マグダラのマリア

 7月22日は、マグダラの聖マリアの祝祭日だというので、それについて少々。このところ「ダ・ヴィンチ・コード」ですっかり有名になったマグダラのマリアではありますが。

 悔悛者マグダラの聖マリア(St. Mary Magdelene "The Penitent")

 彼女は「悔悛者」と呼ばれる。聖マリアには「マグダラ」という名が付け加えられている。なぜなら、ユダヤ人の少女ではあるが、北ガリラヤのマグダラという異教徒の町に住んでいたから。彼女の育った文化と習慣は異教徒のものであった。聖ルカは彼女は悪名高き罪人であって、彼女から7つの悪魔が追い出されたと記録している。彼女は主イエス磔刑に居合わせ、ホアンナとヤコブサロメの母であるマリアとともにイエスの空の墓にいた。主イエスの死から14年後、聖マリアは、ユダヤ人によって、聖ラザロ、聖マルタ、(彼女に洗礼を施した)聖マクシマン、聖シドニウス(「盲目で生まれた男」)、彼女の女召使いセラ、そして聖母マリアの母、聖アンの遺体とともに、帆もオールもないボートに乗せられた。彼女らは海を漂い、南フランスの海岸に漂着する。そこで聖マリアは余生をサント・ボームとして知られる洞窟で瞑想して送る。唯一食べ物としては、天使によって毎日聖餐が与えられただけであった。72歳で亡くなった。聖マリアは、死の直前に奇跡の如く聖マクシマンの礼拝堂に運ばれ、そこで彼女は最後の秘蹟を受けた。

この聖人、マグダラの聖マリア(祝祭日7月22日)についてもう少し:マグダラのマリアは、最初に我らが主に会った時、罪人として知れ渡っていた。彼女は非常に美しく、非常に誇り高かったが、イエスと出合ってから、彼女はそれまでの邪悪な生活を非常に悲しんだ。シモンという名の富裕な人の家にイエスが夕食に招かれて行った時、マリアもやって来て、イエスの足下で泣いた。それから、彼女の長い美しい髪で、彼女はイエスの足を拭き、その足を高価な香油で塗った。幾人かの人は、イエスがそうした罪人に足を触れさせる事に驚いたが、我らが主は、マリアの心を見抜いていた。そしてこう言った。「彼女から多くの罪が許された。何故なら彼女は多く愛したからだ。」そうして、彼はマリアに優しく言った。「あなたの信仰があなたを救ったのだ。安らかに行きなさい。」その時から、他の聖女たちとともに、マリアは、イエスとその使徒たちに謙虚に仕えた。主が十字架に架けられた時、彼女はその十字架の下にいた。自らの事は恐れず、ただイエスの苦しみだけを思い。イエスが彼女の事を「彼女は多くを愛した」と言ったのももっともな事である。イエスの遺体が墓に置かれた後、マリアは、イースターサンディの朝早く香油を塗ろうと墓に行った。しかし、聖なる遺体が見つからず、彼女は泣き始めた。誰かがいるのを見て、彼女は園丁だと思い、彼に、彼女の愛する主人の遺体はどこに持ち去られたのか尋ねる。しかし、その時、その人は、彼女が非常によく知っている声で話かける。「マリアよ!」それは死から蘇ったイエスであった!彼は、最初に、悔い改めた罪人マグダラのマリアに自らの姿を見せる事を選んだのだった。

 参照:St. Mary Magdelene "The Penitent"
 http://www.catholic.org/saints/saint.php?saint_id=83