◆零の歴史◆


 最近、数学史の掲示板に「零について」教えてくれませんかというような投稿がありましたので、今回から、「A history of Zero」でも訳してみようかなと思いました。結構量がありますので、1回や2回では訳しきれないと思いますが、まあよろしくお願いします。では始めます。

零の歴史
http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/history/HistTopics/Zero.html

 ◆零の歴史◆

 このアーカイブの読者たちがする質問の中で最もよくあるものの一つは、誰が零と発見したのですか、そしてなぜアーカイブの最初の一つに零の記事を載せていないのですか、というものです。その理由は、基本的にその質問には満足な形で答えることが困難だからです。誰かが、その時に数学に輝かしい革新が入ってきたと当時誰もがわかったような零の概念を思いついたのならば、たとえどんな天才がそれを発明したのか知らなくても、その問いには満足のいく答えがあったでしょう。しかし、歴史的記録は、まったく違ったその概念への道のりを示しています。零は影のように現れ、ほとんど数学者がそれを求めていたかのようにそれを見いだした時でさえ、その根本的な意義を認められなかったかのように再び消えてしまうのです。

 零について先ず言っておかなければならないことは、ともに極めて重要であるのですが、いささか異なる2つの零の用法があるということです。一つの用法は、私たちの位取り記数法で何もないことを示す記号としてです。つまり、2106のような数では、零を使って2と1の数字の位置が正しいことを示します。零の2つ目の用法は、私たちが0として使うときの数そのものとしての零です。これら2つの用法、すなわち、記数と名称という2つの概念には、零の異なる相がまたあります。(私たちの用いる零という名は、アラビア語の sifrから派生したもので、その単語は、またcipherという単語も派生させています。)

 上の用法のいずれも、その歴史を容易に描くことはできません。誰かがその考えを発明し、それから誰もがそれを使い始めたということは起こらなかったのです。また、零という数字は、直感的な概念とはまったく関係ないというのは正しいでしょう。数学の問題は、抽象的な問題としてより、むしろ「現実」の問題として始まりました。歴史的に初期の時代の数は、今日の私たちの数の持つ抽象的な概念より遙かに具体的に考えられていました。5匹の馬から5つの「もの」、そして「5」という抽象概念へは非常に大きな精神の飛躍があります。古代の人々は農民が何匹の馬を必要としているのかという問題を解くとしても、その問題には0あるいは -23という数字は答えにないでしょう。