◆バクシャリ写本・ペルシア◆


 バクシャリ写本

 この時期に何らかの優れた内容を持つ別の著作として、バクシャーリー写本があります。この著作は、起源と年代とは不確かであるのですが、算術と代数との両方に関する資料を含んでいます。以前、それは私たちの時代の初期の頃のものとされましたが、その後8〜9世紀のものと言われました。しかし、その時代より後に書かれた証拠があり、恐らくヒンドゥー起源ですらないということです。その著作の性格は次の一つの問題から類推することができるでしょう。

 一人の商人が三つの異なる場所である商品の税を支払う。一つ目の場所で、商品の 1/3を支払い、二番目では[残りの] 1/4を、三番目では[残りの] 1/5を支払う。税は合計で24である。もとあった商品の数はいくらか。

 答えは40です。(x/3 + x/6 + x/10 = 24より)


 ペルシア

 ところで、私たちは、イスラムに征服された土地での学問の興隆は、単にアラビア人の影響によるものだと考えがちですが、ここではそうではありません。例えば、ペルシアでは、学問(科学)の寛大な擁護者、聖王コスル(Khosru the Holy)がいて、宮廷にギリシアの学者を招き、西洋の文化の移入を奨励しました。彼の統治時代に、アリストテレスプラトンが翻訳され、疑いなく、ギリシアの数学者の著作が知られるようになったでしょう。