◆零の歴史(その4)◆


 ◆零の歴史(その4)

 プトレマイオスは、紀元 130年頃書かれた「アルマゲスト」の中で、空の場所を示す0とともにバビロニアの60進法を使っています。この時までには、プトレマイオスは、数字の間にも終わりにもその記号を使っていて、少なくとも空の場所を示す零は確実に確立していたと信ずる誘惑にかられます。しかし、これは起こったこととはまったく違うのです。例外的にほんの数人の天文学者が、その記数法を用いただけで、最終的にそれが確立するまでに、さらに数回使われなくなるのです。零の場所の考え(まだ一種の句読点記号と考えていたプトレマイオスによっては、確実に数字としては考えられていない)は、インドの数学に次に現れることになります。

 さて、舞台をインドに移しましょう。そこで、数詞と数体系が生まれ、今日私たちが使っている高度で複雑な数体系に進化したと言うことは不公平ではないでしょう。もちろん、インドの体系が何かをそれ以前の体系に負うていなかったということはできません。多くの数学史家は、インドの零の用法は、ギリシア天文学者たちによる使用から発展したと信じています。非常に非合理的な仕方でインド人の貢献をおとしめたいと思っているような歴史家だけでなく、インド人が零を発明したとあまりにも極端に思われる主張をする歴史家もいます。例えば、ムヘルジィー(Mukherjee)は[R Mukherjee, Discovery of zero and its impact on Indian mathematics (Calcutta, 1991).]の中でこう主張します。

 …数学の零の概念は、…またインドでは 17000年前から精神の形で存在していた。

 確かなことは、紀元 650年頃までには、数字としての零の用法が、インドの数学に入ってきていました。インド人たちは、また、位取り記数法も使っており、零は空の場所を示すのに使われました。実際、インドでは紀元 200年という早い時代に数字の中に空の場所を示す記号があった証拠がありますが、これを後の時代の偽作だと退ける歴史家もいます。この後者の用法を先ず検証しましょう。それは上述の発展に繋がるものだからです。