◆零の歴史(その5)◆


 ◆零の歴史(その5)

 紀元 500年頃、アーリヤバタにはまだ零はありませんが、位取り記数法である数体系を工夫しました。彼は、位に"kha"という言葉を使い、それは後に零の名として用いられることになるでしょう。初期のインドの写本では、位取り記数法で空の場所を示すのに、ドット(点)が使われていた証拠があります。同じ文書の中で、私たちが未知数を表すのに xを使うようなところにもドット(点)が使われることもあったというのは面白いことです。後に、インドの数学者たちは位取り記数法で零を表す名前は持っていましたが、まだその記号はありませんでした。年代が分かって、すべての人が間違いないと意見が一致しているインドの零の使用の最初の記録は、876年に書かれたものです。

私たちは、876年と解釈(翻訳)できる年代の書かれた銘のある石板を持っています。その銘は、デリーの南 400kmにあるグワリオル(Gwalior)の町と関係があります。そこで、人々は縦横187ハスタ(hasta)と 270ハスタの庭に花を植えました。それはそこの聖廟に毎日花環を50捧げるのに十分な花を提供するでしょう。270と言う数字にも 50と言う数字にもどちらも今日書かれるのとほとんど同じように書かれています。0は少し小さく、若干上の方にありますが。

私たちは、今や、数字としての最初の零が出現したと考えるようになるでしょう。先ず、いかなる意味においても、自然に数字の候補となったものではないことに注意してください。初期の時代から、数字は、対象物の収集(集まり)に言及する言葉です。確かに、数字の考えは、次第に抽象的になり、この抽象化が、その後、零や負の数の考察も可能にします。しかし、それは対象物の収集(集まり)といった特性からは生じないものです。もちろん、零や負の数を考えようとすると生じる問題は、算術(算数)の足し算、引き算、かけ算、わり算といった計算操作(方法)について、お互いどのように作用し合うのかということです。インドの数学者、ブラフマグプタ、マハーヴィーラ、バースカラ3人の3冊の重要な書物は、これらの問題に答えようとしたものです。