◆零の歴史(その7)◆


 ◆零の歴史(その7)

 ブラフマグプタが彼の傑作を書いたおよそ200年後の 830年に、マハーヴィーラがブラフマグプタの書の改訂版として企図したガニタ・サラ・サングラハを書いています。彼がこう述べているのは正しいことです。

 …ゼロをかけた数はゼロであり、ある数からゼロで引いてもその数は同じである。

 しかし、ゼロで割る計算のブラフマグプタの規則を改善しようとした彼の試みは、彼を間違いに導いたように思えます。彼は、こう書いています。

 ゼロで割られても、その数は変わらない。

 これは明らかに間違っているので、私が「彼を間違いに導いたように思えます」という言い方をしたのは、混乱を招くものと見られるかも知れません。このフレーズを使った理由は、マハーヴィーラの何人かの注釈者が彼の間違った陳述の言い訳を見つけようとしていたためです。

 バスカラは、ブラフマグプタの500年以上後に著作しています。その時間の経過にもかかわらず、彼はまだ、ゼロによる割り算を説明するのに四苦八苦しています。彼は、こう書いています。

 ゼロで割られる量は、分母がゼロになる分数になる。この分数は、無限量と呼ばれる。割る数としてゼロを持つ分数からなるこの量は、多くの数が加えられても減ぜられても、まったく変わらない。世界が創造されたり破壊されたりしても、無限なる不変の神に何事も起こらないように。存在の数多くの順序は吸収され(消え)たり現れたりするのだが。

 つまり、バスカラは、n/0 = ∞と書くことで問題を解決しようとしました。一見、私たちはバスカラは正しいと信じたくなる誘惑にかられますが、もちろん、そうではありません。これが真実なら、0かける ∞は、どんな数 nとも等しくならなければならなくなり、すべての数が等しいことになってしまうからです。インドの数学者たちは、ゼロで割ることはできないと認める境地に達することができませんでした。しかし、0^2 = 0, や √0 = 0.のような他のゼロの特性については、バスカラは、正しく述べています。