◆バグダードのキリスト教学者及びユダヤの学者◆


 ◆バグダードキリスト教学者及びユダヤの学者◆

 この時期、バグダードには様々なユダヤキリスト教の著述家が来ていました。彼らの名は一般にアラビア語の形で残っています。これら人の中に、占星術家サール・イブン・ビシュル(Sahl ibn Bishr)がいます。彼は、ホラサン(ホラムズ)(Khorasan)ではかなりの名声を得ていました。彼は代数についての著作を書いています。その一部はベネチアで(1493年)、一部はバーゼルで(1533年)出版されました。

アブル・タイイブ(Abul-Taiyib)もいました。彼はユダヤの宗教を棄て、イスラムの信仰を受け入れました。彼は1組の天文表を編集し三角法について著述したように思えます。キリスト教徒の中にはコスタ・イブン・ルカ・アル・バアルベキ(Qosta ibn Luga al-Ba'albeki)(912/3年頃没)がいました。彼は医者で、テオドシウスの球面幾何学(Spherics)とアリスタルコス、アウトリュコス、ヒュプシクレス、ヘロンそしてディオファントスの一部を翻訳し、教理問答の形で幾何学を書きました。

また、ギリシア人のキリスト教徒、ナジフ・イブン・ユム(あるいはイェメン)(Nazif ibn Jumn(or Jemen))もいました。彼はアルークァス(聖職者)として知られ、ユークリッド(エウクレイデス)の第10書を翻訳しています。同じキリスト教徒の一人、アル・ヨルジャニ(al-Jorjani)は医者で、アルマゲストの要約を書いています。

 ミシュナト・ハーミドト(Mishnath ha-Middoth)(計量理論=Theory of Measures)というタイトルの著者不明のヘブライ語の著作が書かれたのは、この時期、この地域であった可能性がありますが、場所と年代は全く分かっていません。それは主として幾何学の立体の計量について書かれていますが、その図形のいくつかはアル・フワーリズミーの計量に関する著作を思い起こさせるものです。