◆零の歴史(その9)◆


 ◆零の歴史(その9)

 フィボナッチは、これらの新しい数体系の考えをヨーロッパにもたらした主要な人々の一人です。"Much ado about nothing - an introductive inquiry about zero"(L Pogliani, M Randic and N Trinajstic;Internat. J. Math. Ed. Sci. Tech. 29 (5) (1998),729--744.)の著者が書いているように。

 ヒンドゥー・アラビア数体系とヨーロッパ数学との重要な繋がりは、イタリアの数学者フィボナッチにある。

 1200年頃、彼は「算盤の書」の中で、ヨーロッパ人のために、0の記号と共に9つのインドの記号について記述していますが、その後長く広く用いられることはありませんでした。フィボナッチが敢えて他の記号 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 と同じように0を扱わなかったのは意義深いことです。というのは、彼は、他の記号は「数字」として語っていますが、零は「記号」として語っているからです。ヨーロッパにインド数字をもたらしたことは、非常に重要なことであったのはあきらかなのですが、彼の零の扱いでは、インド人のブラフマグプタやマハーヴィーラ、バースカラ、またアル・サマワルのようなアラビア・イスラムの数学者の知的レベルに達していなかったことが見て取れます。

 全般に数体系の発展、特に零の発展は、この時代から着実に進んだだろうと(皆さんは)考えるかも知れません。しかし、これは、現実とはほど遠いものです。カルダーノは、3次及び4次方程式を零を使わずに解きました。もし、彼が零を知っていたなら、1500年代の彼の著作を遥かに容易に見出していたでしょう。しかし、彼の数学には零はありませんでした。1600年代までに、零は広く使われるようになり始めますが、それでも、まだ多くの抵抗に遭わなければなりませんでした。

 もちろん、零によって引き起こされる問題の兆候はまだあります。最近、世界中の多くの人々が 2000年1月1日に新しい千年紀を祝いました。もちろん、彼らは、1999年だけの経過を祝ったに過ぎません。というのは、暦が定められたとき、西暦0年が特に定められなかったからです。その当初の間違いを許すとしても、ほとんどの人々が第3千年紀及び21世紀が2001年の1月1日になぜ始まるのか理解できないように思えるのは少し驚きです。零は、今でも問題を引き起こし続けているのです!