◆暗黒時代◆


 ◆暗黒時代◆

 アラビア数学の黄金時代は、一般に広く9世紀と10世紀に限定されますが、世界は、ギリシア数学の古典を保存し後世に伝えるのに、アラビアの学者たちに大きく依存していました。代数ではかなり独創性を発揮し、三角法の著作では幾分天才も示していますが。

 さて、ヨーロッパに目を向けてみましょう。500年から 1000年までの時期というのは、ローマの没落(455年)の時代頃から教皇シルヴェステル2世(Sylvester II)(Gerbert)下でのヨーロッパ最初の覚醒までの時期です。それはいわゆる暗黒時代であり、ゆっくりとした北方の民族の文明化の時代、修道院の学校の発展の時代、シャルルマーニュの偉業の時代、そして、主としてスペインのムーア人を通しての東方文明との接触の時代を含んでいます。

数学では、西方でのキリスト教の暦の発展の時代であり、他の分野ではほとんど発展はありませんでした。野蛮な民族は文明化されなければなりませんでした。彼らが破壊したローマ文化をゆっくりと同化し、よりよい宗教を受け入れるために。ローマの学校は、聖堂や修道院の学校に取って代わられなければなりませんでした。そして、そこで要求された数学は、交易に必要なもの、勘定会計を保つためのもの、教会の祝祭日を定めるものに限定されました。

 アニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス(Anicius Manlius Severinus Boethius)は、ローマ市民で名高いアンキウス家の一人であり、政治家、哲学者、数学者、文学者、そして中世スコラ哲学の創始者でありました。この時期の初めに、それは現在議論されていますが、生きていました。真っ直ぐな性格のために迫害され、何者も恐れぬ性格のため処刑され、教会によって殉教者として受け入れられ、彼の名声とその学識は、数学に関する彼の書物に、何世紀にもわたって修道院の学校での高い地位を獲得させました。

 彼の最も偉大な書は、獄中で書かれたものですが「哲学の慰め(Consolation of Philosophy)」です。彼の数学的著作は、算術、幾何学、そして音楽に関する著作で、当時数学の一部と見なされていたテーマについて書かれています。算術はニコマコスの著作に、幾何学ユークリッド(エウクレイデス)の「幾何学原論」に基づいています。いずれも数学の分野ではなんら独創性を示してはいませんが、数の理論や論証幾何学の課程を十分必要とするまで発達していた修道院の学校で、一般に使用できるよう内容のテーマを提示している点では十分に成功していました。