ルネサンス初期の教会音楽(その7)


 ヨハネス・オケゲム

 生い立ちは謎に包まれていて、いつどこで生まれたのかも確認されていません。オケゲムに関する最初の記録は、1443年6月24日からちょうど一年間、アントワープノートルダム大聖堂聖歌隊の代理歌手を務めていたというものです。それからの経緯も正確には分かっていませんが、少なくとも 1453年9月末までに、正式にフランス王家の宮廷礼拝堂のメンバーとして記録されるようになり、以後40数年にわたって、シャルル7世、ルイ11世、シャルル8世と、三代の国王の使えるということになります。
 オケゲムが、どのような音楽教育を受けたかに関しても、何一つ分かっていません。作曲家としてのオケゲムの出発点も、デュファイであったことは変わりないのですが、オケゲムは、同時代の同じデュファイの後継者とは、いささか異なる個性の強い独自の道を歩みます。

 オケゲムの作風

 独自の特徴として、特に3つの傾向が挙げられます。1つは、一般に低い音域を好むということです。第2に、ゆったりと流れる息の長いフレーズが多いこと、第3は、この世代にはめずらしく、特に数比を主とする数学的な構造に執念に近い関心を持っていることです。

 オケゲムのミサ

 オケゲムのミサは、すべて循環ミサです。最初期の作品とみなされている3声の2曲のミサ、5声部の作品2曲は、比較的簡単な書法で、4声部の方が手の込んだ作品が多いです。
 オケゲムのミサ曲には、聖歌にもシャンソンにもよらない全く自由な創作による作品が含まれ、そのような作品の中に、特に音楽理論を駆使した技法的な曲が見られます。特に名高いのは、「ミサ・プロラツィオヌム」で、異なる三分割、三分割のリズムの組み合わせを駆使し、各声部すべて異なるリズム構成であるが、一緒に歌うとすばらしい音の響きを醸し出しています。
 「ミサ・クユスヴィス・トニ(任意の旋法によるミサ曲)」も特殊な作品で、音楽理論を手に取った極めて頭脳的な書法です。
 オケゲムは、死者のためのミサ「レクイエム」を一曲残しています。この曲は、デュファイのレクイエムが現存しない今日、史上最古のレクイエムです。