◆ロスヴィータ◆


 ◆ロスヴィータ

 数学史で取り上げたロスヴィータについてもう少し書いてみることにします。

 ガンデルスハイムのロスヴィータ(Hrotsvit of Gandersheim)は、紀元935年から1000年までサクソニー(北ドイツの地域)に住んでいた。彼女の名前の綴りは、これ以外に、"Roswitha", "Hrotswitha", "Hrotsvitha"と書かれることもある。

 ロスヴィータは、ガンデルスハイムの修道院の女性司教座聖堂参事会員として生きた。女性司教座聖堂参事会員として、彼女は、純潔の誓いも貧困の誓いも立てずより厳格な誓いを立てた尼僧より大きな自由を享受していたように思える。ガンデルスハイムの修道院は、サクソニーを 919年から 1024年まで支配したオットー朝王族によって設立された。実際、ロスヴィータの詩の2つはオットー朝の偉業とロスヴィータが住んでいた修道院の設立と寄進において果たした役割を讃える叙事詩である。これらの詩のタイトルは、the Gesta Ottonis and Primordia Coenobii Gandeshemensisである。

 叙事詩の他に、ロスヴィータは、キリスト教聖人の生涯を描いた8つの伝説とこれもまたキリスト教のテーマに焦点を当てた6つの劇を書いた。彼女の作品すべてはラテン語で書かれている。事実、彼女のラテン語の知識と古典の著述家への言及は、この時期の少なくとも数人の女性たちの教養と教育のレベルと古代文学テキストにも触れていたことを証明している。

 今日、ロスヴィータは、最も初期の劇作家の一人であり、彼女の劇で最もよく知られている。これらは、キリスト教の徳目への信仰心が試される状況にある女性に焦点が当てられている。ロスヴィータは、また、彼女の作品のそれぞれのグループを紹介し、彼女が書いたコンテキストと彼女の文学的基本方針とについての貴重な情報を提供する序文を書いてもいる。その中で、彼女は、ローマの劇作家テレンティウスに多くを負っており、彼の喜劇に見いだされる女性のネガティヴな描写を書き換えたいという意図があったことを述べている。

 参照:HROTSVIT - http://go.owu.edu/~o5medww/hrotsvit/index.htm