◆ロスヴィータ◆


 ◆ロスヴィータ
 
 ロスヴィータ

 ザクセンのガンデルスハイム(Gandersheim)のベネディクト会修道院の学識ある尼僧ロスヴィータ(Hrotsvitha)の物語によって、この時期の不毛な数学の分野にある程度の光が投げかけられています。彼女はいくつか戯曲を書き、その中で彼女にはギリシア語とギリシアの算術あるいはボエティウスの算術かのいずれかの知識が有ることを示しています。戯曲「サピエンティア(知)(Sapientia)」の中で、皇帝ハドリアヌスはサピエンティア(知)の三人の娘、すなわち Fides(信仰)、Spes(希望)と Caritas(愛)の年齢を尋ねます。

その時サピエンティアは、「the age of Charity is a defective evenly even number; that of Hope a defective evenly odd one; and that of Faith an oddly even redundant one.」と言います。ハドリアヌス帝が「これらの娘の単なる年齢を答えるのに、なんと難しく複雑な問題を出すのか」と言いますと、サピエンティアは、「ここにおいて、創造主の偉大なる智慧と宇宙の創造者の驚くべき知とを讃えるべきです。」と答えます。ロスヴィータは、偶然に、6以外の完全数、すなわち、28と 496と 8128のことを語っているのです。

10世紀の他の著述家

 10世紀にクリュニーのオド(Odo of Cluny)(879-942年頃)によって算盤(アバカス)についての論文がまた書かれたようです。12世紀の著述家の著作であるかも知れませんが。しかし、この時代は全般に不毛な時代でした。他にもう一人だけ名をあげるに値する著述家がいます。オルレアン生まれのフリュリのアッボ(Abbo of Fleury)(945-1003年)です。彼はイースター(復活祭)の日時の計算、天文学ボエティウスの算術について書いています。しかし、彼が記憶に留められるに値する主な理由は、彼がジェルベール(Gerbert)という、その生涯と著作は次の章で考察されますが、当時最も学識ある学者の師であったという事実によっています。

 教会の学者の他の例は、ベルンウァード(Bernward)の場合に見られます。彼は、993年ヒルデスハイム(Hildeshiem)の司教となり、主にボエティウスの数の理論に関する著作を書いています。この著作の写本は恐らくオリジナルだと思われますが、ヒルデスハイムに今日でも存在します。