◆初期イタリアのポリフォニー◆


 ◆初期イタリアのポリフォニー

 全般にフランスのアルス・ノヴァ、特にマショーの影響がいつどのようにイタリアのポリフォニーに及んだのかということは、「謎めいた問題であるが、全く推測によらなければならないというものでもない。」といいます。

14世紀までには、イタリアのポリフォニーは、私たちにまで伝わっているものから判断して、量において極めて穏当で、様式においてもトレチェント(14世紀)を通して、特に重要な音楽の中心的分野になっていました。

 その世紀のずっと後になっても、イタリア教会音楽は世俗音楽とそれほど際立った違いはありませんでした。「1350年頃、(フィレンツェ)のゲラルデッロ(Gherardello)によって作曲されたアニュスでは、様式だけでなく公式の構成でもマドリガーレと関連している。ほとんどのマドリガーレのように、上声部が主声部であるように思える。」そうです。

また、パドヴァのグラティオスス(Gratiosus)によるグロリアは、バッラータ様式ですが、パドヴァの曲の一つ、「Iste formosus」は半音階主義によって特徴付けられます。パドヴァの有名な理論家マルケットゥス(Marchettus)は、彼の主要な論文「Lucidarium」と「Pomerium」とは、恐らく 1318年に年代付けられるでしょうが、イタリアとフランスとの記譜法の間の違いを説明するだけでなく、半音階主義にひどく論争を呼ぶ見解 -- 彼の半音階の半音(semitonum chromaticum)は、全音の 4/5 である -- を表明しています。