◆トレチェント(14世紀)マドリガーレ◆


◆トレチェント(14世紀)マドリガーレ◆

 イタリアの世俗ポリフォニーを含む最も初期の資料は、ヴァチカン写本(Vatican codex), Rossi 215,で、恐らく、1330年頃のパドヴァの曲集が収められているのでしょうが、29の作曲者不詳の曲を含み、その一つがすでに述べたマギステル・ピエロ (Magister Piero)によるものであることを私たちはコンコーダンスから知っています。また、彼と同時代に、同じ地域パドヴァ、ヴェロナ、ミラノで活動していたもう一人の作曲家、フィレンツェヨハネス(Johannes de Florence)、あるいはジョヴァンニ・ダ・カシア(フィレンツェに非常に近い所)によるものがあります。三人目の音楽家は、ヤコポ・ダ・ボローニャ (Jacopo da Bologna)(ヤコブス・デ・ボローニア(Jacobus de Bolonia))で、ロッシ写本には出てきませんが、同じグループに属していたことが知られています。そして、実際のところ、この三人の中で最も有名でした。

 ロッシ(写本)の曲の--そして、これら三人の作曲家たちの全作品の--大部分は、二声部のマドリガーレです。(ペトラルカとその同時代人のトレチェント・マドリガーレのその名 madriale あるいは madrigaleは、恐らく、母語での詩を意味する中世ラテン語の matriale に由来するでしょう。それは、二つから五つまでの3行のスタンヅァでできており、すべて同じ音楽がついていて、その後に2行の異なるリズムのリトルネッロ(ritornello)が続きました。1313年頃に「新しい」詩形として言及されており、その最も初期の最もナイーヴな例は、作曲者不詳「Cum altre ucele」です。

 ロッシ写本の唯一の三声の曲は、「Or qua compagni」です。これは、正確には器楽のテノールのあるカノン風のマドリガーレではありません。なぜなら、リトルネッロがないからですが、第二声部は、結果的に声部の交差する華麗なパッセージに加わり、非常にカノン風のマドリガーレに似ていることから、フランスのシャスより、むしろこれがカッチャの起源だとずっと主張されています。

 初期のマドリガーレの真の巨匠は、「Nel mezzo a sei paon」を作曲したジョヴァンニとペトラルカの「Non al suo amante」に作曲した曲と美しい曲「Fenice fu」を書いたヤコポ(Jacopo)でした。しかし、ジョヴァンニは、決して、また、ヤコポはごくまれにしか三声部以上のマドリガーレを作曲していません。ヤコポの三声の曲「Uselletto selvaggio」--彼は二声の曲も作曲していますが--は、単にカッチャの技法を使用しているにすぎません。

この時代は、フランスのモテトゥスの模倣の試みの時代のように思えます。テノールは、付け加えられたものでなく、最初の基本のパートであることを理解できなかった作曲家によるホケトゥスや終止のカデンツァさえあります。事実、これが、その世紀の中頃、イタリアのポリフォニーにフランスの影響が見られ始める時期にあたります。