◆フランチェスコ・ランディーニ◆


 ◆フランチェスコ・ランディーニ◆

 フランスの影響は、トレチェント最大の巨匠、フィレンツェの盲目のオルガニスト、フランチェスコ・ランディーニ(Francesca Landini)(1335年 - 1397年)の作品の中で一層明らかになります。彼の作品の多くは、ポリフォニーのバッラータ(ballate)、1360年以前には実際知られていなかった形式でできています。ヴィルレのイタリア版であるモノディのバッラータには、何ら斬新なものはありませんでした。それは、恐らく、トルバドールの歌の末裔というものでしょう。

しかし、ポリフォニーのバッラータ、特にランディーニの巨匠の手によるものは、別の問題があります。それは二声部で、第二声部は、声あるいは楽器のいずれか、あるいは三声部で、時には全くの声だけのときもあるでしょうが、しばしばテノールやカウンターテノールが楽器で演奏される、あるいは両方が楽器で演奏されるものまであります。

 しかし、ランディーニの傑作は、より「近代的な」協和音のある「Gram piant' agli ochi'」や「Amar si gli alti tuo' gentil' costumi」、また「L'alma mia piange」のような三声のバッラータの中に見いだせます。特に「Amar」は、彼にとっては特異なものではなく、彼の非常なお気に入りなので「ランディーニ終止」として知られるようになったマニエリズムのカデンツァによって特徴付けられます。

ランディーニがマドリガルとカッチャをほとんど完全に無視していることは著しい特徴です。バッラーダが 140曲あるのに対して、マドリガルは12曲、カノン形式の曲は一つだけというように。彼の二つの三声のマドリガルの一つ、「Si dolce non sono」には、他のパートにアイソリズムの気配があるだけでなく、アイソリズムのテノールがあることで注目に値します。トレチェントの音楽にとっては、アイソリズムは全く外国のものであり、トレチェント音楽は「イタリアのゴシック建築がゴシックでないのと同様「アルス・ノヴァ」ではないのです。フランスの影響の他の徴は、彼がしばしば用いるフランスの記譜法とフランスのヴィルレの三声の曲です。

 教会音楽が全くないというのは、それほど驚くべきことではありません。ポリフォニー典礼音楽は、どの地域でも特別であり例外的なもので、フランスやイギリスよりもイタリアで一層そうであったことを常に心に留めておかなければならないでしょう。唯一完全なポリフォニーのイタリアのミサ曲は、Bibl. Nat.ital.568の終わりにある合成されたものだけです。