◆リトモマキア◆


 ◆リトモマキア◆

 前回、ヘルマヌスス・コントラクトゥスのところで、リトモマキアという数のゲームの話が出てきたのですが、11世紀と言えば、リトモマキア(rithmomachia)という数のゲームのことに触れなければならないでしょう。これに関する最も初期の論文の一つは、修道士フォルトルフス(Fortolfus)によるものです。

彼は、恐らく、11世紀の終わり頃に生きていたと思われます。そして、それが指摘しているように、その世紀以前には知られていませんでした。時折、ボエティウスピュタゴラスにまでさかのぼるとされることもあるのですが。

このテーマについては、ヴァチカン図書館に写本があります。タイトルは「リトマキヤ(Ritmachya)」であり、1077年に、ベネディクトゥス・アッコリトゥスとして知られる修道士によって書かれたものです。また、そのゲームは、中世の詩「デ・ウェトゥラ(De Vetula)」にも言及されています。それに興味を持った初期の著述家は、すでに述べたヘルマヌス・コントラクトゥス(Hermannus Contractus)(1013-1054)の他に、ヨルダヌス・ネモラリウス(Jordanus Nemorarius)(1236年頃没)とニコレ・オレスメ(Nicole Oresme)(1323-1382年頃)の二人がいます。

 このゲームは、ニコマコスによって示されるギリシアの数の理論に基づいています。それは、四角い形の二重のチェス盤で遊ばれます。一方の側には8つの正方形があり、他方には16あります。駒は、三角形、四角形、円と角錐で、それぞれある数値を有しています。これらの駒は、1496年の著作から、並べ方が決まったようです。数字は、アットランダムに取られているわけではありませんが、それらが配置された意図は、非常に複雑なものです。

ゲームそのものも非常に複雑で、中世では、ギリシアの数の理論に精通していることが要求されていて、数学のエリートたちだけができるもののように思われます。その人気のほどは、11世紀には少なくとも3つの写本、12世紀と13世紀には3つの写本によって、さらに、このテーマについていくつか印刷された論文があることから証明されています。