◆数学は「発見」?それとも「発明」?(その2)◆


 ◆数学は「発見」?それとも「発明」?(その2)◆

 Where do mathematical objects live?
 http://www.sciencenews.org/view/generic/id/31392/title/Still_debating_with_Plato

の続きです。


プラトンは、発見であると信じる者たちの旗手である。プラトンの概念は、数学は宇宙のあらゆる構造物の下に横たわる揺らぐことのない基盤である。数学の内なる論理に従うことで、数学者は人間の観察からは独立した、一時的な性質の物理学的現実(現象)にとらわれない永遠の真実を発見する。「数学者が仕事をする抽象的王国は、数学者たちにとっては、その詳細な知識に長く慣れ親しんでいるがために、たまたまその上に座る椅子より具体的なものである」と、自らプラトン主義者を自認するスウェーデンの Chalmers技術大学の Ulf Perssonは語る。

プラトンの考え方は、数学を考えているとき経験する状況によく合致すると、自らをプラトン主義者であるとまでは言わないが、ハーバード大学の数学者 Barry Mazurは語る。定理と取り組んでいるときの感覚が、「数学の概念の狩猟採集者」であるような感覚であると、彼は言う。

「しかし、その狩猟場はどこにあるのか?もし数学的イデアがそこにあって、発見されるのを待っているというのなら、人類がそれまで心に描いたことが一度もなくても、とにかく純粋に抽象的概念が存在しなければならない。このため、Mazurは、プラトンの観点を「成熟した有神論の立場」であると考えている。それは、伝統的な意味でのどんな神をも要求するのではなく、「純粋なイデアの、純粋な存在の構造体」を要求すると彼は言う。そうした立場を擁護することは、「理性の貯蔵庫を放棄し預言者たちの資質に依存する」ことを要求する。

「事実、ロンドンのキングズ・カレッジの数学者Brian Daviesは、プラトン主義は、「現代の科学より神秘的宗教とに多くの共通点を持っている」と書いている。また、現代科学は、プラトン主義的な観点は単に単純な間違いに過ぎないことを示す証拠を提供していると彼は信じている。その論文のタイトルを「プラトン主義に死を」と彼は付けている。

「もし、数学がこの純粋なイデアの王国を認知することであるのなら、数学をすることは、私たちの脳になんらかの仕方で物理的世界を超えたところに到達することを要求する。Daviesは、脳の画像化(イメージング)(brain-imaging)研究は、この信仰を次第に本当らしいものではなくしていると、彼は指摘している。私たちの脳は、視覚の様々な多くの側面を記憶や先入観と統合し - 錯覚が明らかにするように常に正しく創造するとは限らないが - 単一のイメージを創造する。彼は、また、脳のイメージング研究は、私たちの数の感覚の生物的基盤を示し始めているとも言う。

「しかし、ニューメキシコ大学の Reuben Hershは、こうした研究が数学を理解する直感的能力のプラトン的概念を論理的に打破するとは信じていない。にもかかわらず、彼はプラトンの観点を拒絶する。そうではなく、数学は人間の文化の産物であり、根本的に音楽や法律やお金のような他の人間が創った創造物と異ならないと主張して。