◆イタリアとフランスの翻訳者たち◆


 ◆イタリアとフランスの翻訳者たち◆

 12世紀にイタリアとフランスは、数人の優れた学者を生み出しました。彼らのアラビア語の知識と数学への好みは、イスラムギリシア文明の様々な古典をラテン世界に知らしめることになりました。

 これらの翻訳者の中で最初の人物は、チボリのプラト(Plato of Tivoli)あるいは、プラト・ティブルティヌス(Plato Tiburtinus)と呼ばれる人でした。彼は、1120年頃の人で、アルバテニウス(Albategnius)(アル・バッタ
ーニ(al-Battani))の天文学、テオドシウスの「球面幾何学(Spherics)」、アブラハム・バール・キイア(Abraham bar Chiia)(1120年頃)の Liber Embadorum その他占星術に関する様々な著作を翻訳しました。

 この頃、シチリア島も、ギリシアやアラビアの著作の翻訳が活発でした。こうした学者たちの注意を引いた論文の中に、プトレマイオスの「アルマゲスト(Almagest)」があります。そのアルマゲストは、1160年頃、以前にシチリアの学者によってコンスタンチノープルからパレルモにもたらされたギリシア語の写本から、名前不詳の翻訳家によってラテン語に翻訳されたものです。

 何年か後、ゲラルド・クレモネンセ(Gherardo Cremonense)、すなわち、クレモナのゲラルド(Gherardo of Cremona)(1114-1187年)が、イタリアで、それからスペインで学び、トレドではアラビア語を学びました。彼だけでなく他の多くの中世の、またずっと後の科学者たちにとって、占星術が、医学と数学とを加えた総合学(ネクサス)となったように、彼の関心は、その3つの分野すべてにありました。

彼は、様々な数学及び天文学の著作をアラビア語から訳し、その中に、ユークリッド(エウクレイデス)の「幾何学原論」「ダータ(Data)」、テオドシウスの「球面幾何学(Spherics)」、メネラオスの著作、プトレマイオスの「アルマゲスト」が含まれています。その「書物への愛のため」彼はトレドに旅をしています。