音楽史 094 ◆チコニアへのイタリアの影響◆


 ◆チコニアへのイタリアの影響◆

 チコニアのすべての世俗曲が、事実上、イタリアの詩に作曲されたものであることは驚くべきことではありません。しかし、彼は、また、上声部に多くのコロラトゥーラを付けて2声や3声のバッラーダを洗練させ、その世紀の変わり目に生じたマドリガーレの短い復興に参画しました。一方、3声部のカノン「Le ray au soleyl」は、北方の精巧さの典型的な使用例であり、モデナのヴィルレ(Modena virelai)「Sus un fontayne」のマニエリズムについては、すでに述べました。

イタリアがいかに侵略者たちを豊かにし始めたかを示しているのは、イタリア人には馴染みの薄い形式ではありますが、彼の作品の最も重要な部分を占めているモテトゥスです。それらは、1400-10年の時期に年代付けられます。その中の二つは、2声部だけのもので、共に、同じラテン語のテキストを歌い、様式的にマドリガーレとは区別がつきません。また、別の二つは、同一のテキストで、器楽のテノールの上に、自由なあるいはカノン風の模倣の同じ声部の二つのデュエットがあります。

 チコニアは、恐らく、初期の他のどの音楽よりも作品にすばらしい響きの効果を冠する方法をよく理解していたのでしょう。それは、「Venetia, mundi splendor/Michael」の最後のファンファーレや「O virum/O lux/O beate Nicolae」の最後の「アーメン」が証拠付けています。それらを、それほど世俗的ではありませんが、それでも印象的なカノニチ写本(Canonici Codex)の中にあるグロリアの「アーメン」と比較してみるべきです。

この特別なグロリアは、カンタービレ(歌うような)の最初部とある意味で器楽的なテノールコントラテノールのあるチコニアのモテトゥスと似ています。しかし、写本の中では、そのすぐ前にある(「Spiritus et alme」のトロープスのある)曲は、チコニアの別のグロリアやクレドにもある革新を示しています。合唱とソリストとの交替のための「dui」と「chorus」という印です。それは、この時までに、声のポリフォニーは、もはやソリストのためだけではなかったことを確認させます。