◆ギリシア--ミレトス◆


ギリシア--ミレトス◆
 
 ギリシア数学の始まりはミレトスでありました。ヘロドトス(BC484年頃から BC425年頃)やストラボン(BC66年頃-AD24年頃)によって、イオニア同盟を形成している12の都市の中で最大の商業都市であって、アテネの植民地であったと言われています。
 
 アテネの植民地であったかどうかは疑問の余地があるのですが、ミレトスは小アジア沿岸の戦略的位置にあって、植民地化の中心となっていきました。BC7世紀には、黒海及び地中海沿岸に90もの都市を建設しています。
 
 商業算術が最初に大発展を遂げるのもここででした。BC7世紀に、西洋で初めて貨幣が鋳造されますが、それはミレトスのちょうど隣にあるリディアにおいてでした。この発明は、商業算術の発展に大きな影響を及ぼしたはずです。
 
 こうしたことから、ギリシア人の間での注目すべき商業算術の始まりの時と場所について、かなり正しい判断が下せるでしょう。すなわち、BC7世紀頃、小アジア沿岸。
 
 この頃は、ギリシアの数の学問、算術(アリスメティック)は、まだ発明されていませんでした。計算の技術だけが実用のために用いられていて、それは「ロジスティック」と呼ばれていました。ギリシアの伝承によれば、フェニキアに由来するといわれています。しかし、数の神秘主義のような知識は、それよりずっと以前からギリシアの祭司階級には、獲得されていたようではあります。
 
 ギリシアの商人の間で、広くロジスティックが用いられるようになっていたにも関わらず、これについて一つの論文も残されていません。大英博物館に保存されているかけ算の表の他は、アバカス(計算板)と足し算、引き算、かけ算のわずかな例だけしか、ギリシア人が実際に行った計算については残されていません。