◆ギリシア--演劇◆


ギリシア--演劇◆ 
 
 BC6世紀終わりから BC5世紀の初めにかけて、アテネは、古典様式を創りあげた詩人・音楽家たちの中心になりました。BC5世紀の間に、その古典様式は、主に演劇で用いられるようになります。
 
 最も初期の演劇の上演は、ディオニシウスの儀式にその起源を持っています。そして、音楽が最も重要な発展を遂げたのは、演劇の分野でした。劇--悲劇と喜劇--は、本質的に音楽劇で、その創作者は学校で訓練を受けた詩人・音楽家でした。詩と音楽と踊り、この3つの要素が渾然一体となって結びつき、野外の円形劇場で演じられたのです。
 
 詩は、音節アクセントというより、調子(高低)によるアクセントで、旋律は言葉のアクセント、すなわち言葉に内在する旋律によって、一部制限されていました。音楽のリズムは、音節の数に基づいていて、実際のところ、音楽のリズムと詩の韻律との間に何か実際上の区別があったのかどうか、極めて疑わしいのです。
 
 音楽のことは、実はほとんど分かっていないのですが、恐らく、もっぱら合唱で成り立っていて、無伴奏かアウロスで伴奏されていたでしょう。後に、モノディ、すなわちソロの声部が、特に悲劇に加えられました。アイスキュロスは、初めて二人目のソロの役者を導入し、対話形式を創りあげました。エウリピデスは、悲劇の音楽の大改革をしたのは明らかで、合唱は遙かに重要性を失い、ソリストたちがずっと重要になっています。
 
 踊り(オルケシス)に関して言いますと、これは舞台の正面にある場所でコロス(合唱隊)によって演じられました。この場所はオルケストラと呼ばれ、1600年頃、イタリアの詩人や音楽家たちがオペラを誕生させた時、いくつかのギリシア演劇の遺物と共に、ヨーロッパで初めてオルケストラという用語が使用されるようになりました。オーケストラの起源ですね。
 
 恐らく、アテネで最も偉大な作曲家で、間違いなく最も偉大な喜劇作家は、アリストファネスでしょう。彼の劇は、彼の時代やそれ以前の作曲家たちのパロディです。彼の形式は、実は、転調、半音階の調音、アウロスの不安定な演奏様式など、古典形式の衰退を示しています。BC405年に上演された「蛙」は、同時に、ギリシア音楽の衰退を予言するものでもありました。