◆ギリシア--プラトンの弟子たち◆


ギリシア--プラトンの弟子たち◆
 
 さて、今回はプラトンの弟子たちについて書いてみます。
 
 先ず、プラトンの甥にあたるスペウシッポスがいました。彼は、プラトンシラクサへの三度目の旅に随伴し、アカデメイアの学頭としてプラトンの後を継ぎます。彼は、ピュタゴラス派、特にピロラオス(フィロラオス)から勤勉に学んだということです。
 
 一時、プラトンの弟子となり、天文学幾何学、医学、法学で優れた人物となった人に、クニドスのエウドクソスがいます。彼は、これまで知られている限り、星座を描いた最初のギリシア人でした。
 
 ストラボンは、エウドクソスの天文観測所が、彼の時代、つまりキリスト紀元の初め頃、クニドスにまだ存在していたと言っています。セネカは、彼がエジプトからギリシアへ惑星の運行の理論を伝えたと言います。アリストテレスは、彼は、星、太陽、月そして惑星のために分かれた天球を作ったと記録しています。
 
 また、アルキメデスは、角すいの体積は、同じ底面、同じ高さの角柱の体積の 1/3 であり、円すいと円柱の体積も同様の関係にあることを示したと言っています。さらに、ある覚え書きから、彼はしばしば比についての著作を書いたとされ、それがユークリッドの第5書になったとされるのですが、これには、歴史的な根拠はありません。
 
 エウドクソスの弟子で、プラトンの友人でもあったメナイクモスは、恐らく円錐曲線を最初に扱った人であろうと考えられています。彼は、母線に垂直な平面で円すいを切ることで、それを得ただろうと言われています。母線が直角をなす円すいからは放物線を、鈍角の円すいからは双曲線を、鋭角の円すいからは楕円を得たのでしょう。
 
 メナイクモスで最もよく知られている話は、彼の弟子であったアレクサンドロス大王が、彼に「幾何学を学ぶのにもっと簡単な方法はないか」と問うた時、「王様、国中には、私道や公道がありますが、幾何学には唯一の道しかありません」と答えたという話でしょう。
 
 ユークリッドプトレマイオス1世との間でも、同じような話がありますが、年代的に考えて、メナイクモスの話の方が元ネタでしょう。ユークリッドの話の方が有名かも知れませんが。時折、ユークリッドアレクサンドロス大王との間の話になっているものがありますが、こちらは何かの間違いだと思います。