◆東洋(BC1000-BC300)◆


◆東洋(BC1000-BC300)◆
 
 エジプトは、BC1000年以前に価値ある数学の体系を発展させていましたが、その後停滞します。バビロニアも同様の道をたどりました。その後、ギリシアが独自に輝かしい発展を遂げますが、それは、なぜだったのでしょう。数学的思考というものを、独創性によって発展する精神活動と捉えず、規範としてそれに従属してしまったためではなかったかと推測することもできるでしょう。
 
 中国でも、そうした傾向がありました。この時代、文献資料としては後の時代のものしかなく、あまりよく分かっていませんが、BC7世紀頃には、貨幣を導入していたと言われています。それは、小アジア(リディア)に現れたのと同じ頃で、商業算術の発展があったのは確実です。
 
 最古の貨幣は貝貨宝貝)だそうですが、刀銭や布銭が現れ、後に円形の貨幣が発行され、BC3世紀には標準的な形になります。当時の計算法は明らかではありませんが、何かメカニカルな方法が古代の他の地域同様知られていたことでしょう。BC6世紀頃、中国人は、計算をするのに竹の棒(算木)を使っていたことが知られています。BC375年頃に、重さや金額が刻印された中国最古の貨幣が現れています。
 
 インドでは、イスラム侵入(7世紀)以前には、信憑性のある記録はないということですが、紀元前の歴史の資料としては、ヴェーダ文学、仏教聖典、英雄叙事詩、碑銘文などが挙げられます。シュルヴァスートラの年代は分かっていませんが、BC5世紀頃まで遡れるのではないかということです。
 
 シュルヴァスートラには、アパスタンバ(Apastamba)、バウダーヤナ(Baudhayana)、カーティヤーヤナ(Katyayana)といった注釈者がいますが、恐らく、その内容は、彼らによって多かれ少なかれ書き換えられたでしょう。バウダーヤナの版の次のような記述は、ピュタゴラスの定理を思い起こさせますね。
 
 「正方形の対角線上に張られた綱は、もとの正方形の2倍の大きさの面積を生み出す。」
 「長方形の対角線は、長方形の二辺のそれぞれが生み出す面積の和をそれだけで生み出す。」