◆アレクサンドリア学派◆


アレクサンドリア学派◆
 
 さて、古代最大の数学の中心地は、クロトナでもアテネでもなく、アレクサンドリアでした。そこは、ナイルデルタの古代都市ラコティス(Rhacotis)のあったところで、アレクサンドロス大王が自らの名を冠するに相応しい価値ある都市を建設したところです。
 
 アレクサンドロス大王の死後、プトレマイオス・ソテル(Ptolemy Soter)がエジプトを所有するようになります。彼の慈愛に満ちた統治の下(BC323-283)、アレクサンドリアは、世界の商業の中心としてだけでなく、文学、学問、科学の活動の中心地となりました。ここに、世界最大の古代の図書館と古代最初の国際的大学が設立されました。
 
 ニューマン卿(Cardinal Newman)は、この二つの特徴について、詩的な感情を込めて「初めのもの(図書館)は、死せる天才を保存し、第二のもの(大学)は、生きる天才の贈り物を受けるところである」と語っています。
 
 ここで、古代世界の他のどの学問の中心地よりも多くの偉大な数学者たちが修練されました。エウクレイデス(ユークリッド)、アルキメデス、アポロニオス、エラトステネス、天文学者プトレマイオス、ヘロン、メネラオス、パッポス、テオン、ヒュパティア、ディオファントス、また、間接的ではあれニコマコスといった名前が、アレクサンドリアと関連付けられています。
 
 次回から、それらの人々について見ていくことにします。