◆ローマの数学◆


 ◆ローマの数学◆

 その後の数世紀は、ローマの軍事力が増大し、その結果、知的理念が抑圧された時代でした。美術、哲学、科学、政治学倫理学、そして数学は、すべて地に沈んでしまいます。ただ、文学だけは進歩を遂げます。ベルギリウスはホメロスを模範とし、キケロはデモステネスの足跡を追います。

 BC6世紀から、すでにエトルリアの芸術は、その技法においても、また、ギリシア神話の伝統に従ったことでも、全くギリシア的でした。芸術だけなく、文学や科学においても同様に、ローマは、単にギリシアと同じ線上を歩んだだけでした。

 数学においては、ローマはなんら独創性を示さず、なんら高い理想も抱きませんでした。ローマは、人間の創造力よりも、むしろ富の獲得の方を好んだのです。その人間になんの価値もないときでさえ、お金がすべてでありました。

 例えば、アレクサンドリアのヘロンのような天才が、ギリシア・ローマ世界に生まれたときでも、彼の関心事は、ほとんどすべて、すでに発展した科学の応用であって、その境界を拡げようとするものではありませんでした。

 ローマ自体について言えば、どれほど多くの学者や文学者がイタリア以外の地で生まれたか、それが注目に値します。スペインからは、二人のセネカ、ルカヌス、マルティアリス、クィンティリアヌス、そして恐らく、ヒュギヌスが。フランスからは、フォヴォリヌスとドミティウス・アフェル。パレスティナからは、ヨセフス。エジプトからは、フィロン。そして、ギリシアからは、プルタルコスとエピクテトゥスが出ています。

 ピタゴラスアルキメデスがイタリアに住んでいたとして、名が挙げられるかも知れませんが、彼らは、本質的にはギリシア人であり、アルキメデスの死後、厳密な学問科学は、消滅してしまったといえるでしょう。

 キケロは、ラテン人のこの心の態度を嘆いていました。ギリシア人の間では、幾何学が高い評価を受け名誉が与えられているが、ローマ人の間では、それが欠けていることを対照させながら。